的様
目 次
的様
まとざま
頼朝の武勇をいまに伝える
源頼朝の伝説が数多く残る山梨県道志村の史跡の一つ。富士の巻狩りの際、頼朝がこの地を訪れ、武道錬成を行ったと伝わります。
エリアその他
住 所山梨県南都留郡道志村池之原7518
源頼朝が武道錬成を行った場所
山梨県最東端の道志村には源頼朝の史跡が多く残されており、国道413号線、キャンプ場密集地として名高い「道志みち」沿いに点在しています。「的様(室久保沢の的)」もその一つで、道志川を挟んで向かい側の櫓沢(やぐらさわ)の上に作った櫓から矢を射る際の的とした跡と伝わります。
道志村は神奈川県相模原市や山北町と隣接し、広義には丹沢山地に含まれる道志山塊といわれる標高1,000m前後の山々に囲まれており、最高峰は御正体山(1,682m)。豊富な水量から道志川、相模川の水源を担う重要な場所です。行ってみれば村のキャッチコピー通り「水の郷」。豊かな山と川が否応なく自分を癒してくれます。
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鑑』によれば、源頼朝は建久4年(1193年)5月8日〜6月7日、富士野で大規模な巻狩を行いました。往復の行程についての詳細が記されていないため、道志村の名前は確認できませんでしたが、頻繁に狩りに出かけていた頼朝が道志村に狩場をつくったという言い伝えは素直に受けとれます。
的様の由来
現地の説明板「的様の由来」を引用します。
「的様の由来
道志村の伝説の一つにこの室久保沢の的が挙げられる。昔頼朝公が富士の巻狩りの折、この地に標的を造り武道錬成のため矢を射ったと伝えられる。現在もここより四km離れた戸渡部落には的場として櫓を組んだ場所があり櫓開戸と呼ばれている。この一ノ的は涼水が勢いよく流れ落ちており、石英閃緑岩の一枚岩に鮮やかな三重の的を見ることができる。尚二ノ的、三ノ的は埋没し見る事が出来ない。
里人
この地に鎮守を祀り水の神的様を永久に尊崇し、毎年四月八日を祭日と定めて里人集い五穀豊穣を祈念する。
平成九年四月 道志村」
今も地元に伝わる頼朝の逸話
源頼朝が宿泊した「宿」という場所があり、今でも子孫の方が住んでいます。その近く、道志みち沿いに「ドライブイン宿」があり、なんとその子孫の方が運営されているそうです。たまたま食事に立ち寄り、運良く様々なお話を伺うことができました。800年以上前の「歴史」が今に繋がったようでした。
この室久保沢の的様は雨乞いの神としても知られており、的様を撫でると雨が降るといわれています。お話を聞いた方の一人は一度、実際にやってみたことがあったそうです。その結果、見事に雨が降ったとのことでした。
また、頼朝が櫓を組み、この的様に向かって矢を射ろうとすると大きな樫の木が的を遮りました。頼朝が樹木を睨みつけると、樫の木は枯れ、今でもその地域に樫の木は一本もないそうです。調べてみると、樫だけでなく檜・椹・椿・樫の4種ということです。
この的様を始め、頼朝が名刀の試し切りで真っ二つにしたという「試し切りの石」、突然駆け出そうとする馬を止めようと刀を突き立てた「試し岩」など、道志村に伝わっている頼朝の鬼武者ぶりは、筆者が様々に源頼朝について調べ、考えてきた頼朝の姿そのものである点も共感が持てます。頼朝は幼名「鬼武者」そのものの人。「貴族的で冷淡」などと源義経と対比させたイメージには強い違和感を感じます。ぜひ道志村に足を運んでみて下さい。
道志みち沿いには良いキャンプ場がたくさん
道志みち沿いはキャン場のメッカとしても知られています。取材の日は4月も10日にもなろうというのに結構な雪で、地元の人も珍しいと言っていました。道志村の美味しい湧水を汲み、キャンプ場に向かいます。雪を整地してテントをたてたら、湧水の湯豆腐でお酒をのみながら、生まれて初めて見る雪化粧した満開の桜を眺めました。鎌倉市内の史跡はほぼ全部取材してしまいましたので、これからはテント持って全国の源頼朝関連史跡を巡るのも良い仕事かなと思っています。
別日に行った、道志村キャンプ(山伏キャンプ場)の動画です。お時間ありましたら御覧下さい。 → https://youtu.be/mRpFhfeG4tA