〈鎌倉十橋〉乱橋

(〈かまくらじっきょう〉みだればし)

新田義貞鎌倉攻めの攻防が名前の由来

大町四ツ角から海岸へと歩くと通り沿いに見えてきます。鎌倉へと攻め込んだ新田義貞と幕府軍が激しく攻防した場所です。

エリア由比ヶ浜・材木座
住 所鎌倉市材木座3-15-7付近
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分

鎌倉十橋 乱橋

乱橋。川はなく、石碑と歴史だけが残ります。

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1333年、稲村ケ崎を伝説の奇襲によって越えた新田義貞は鎌倉へとなだれ込みます。防戦する幕府軍がこの橋のあたりで乱れ始めたため、乱橋という名がついたといういい伝えがあります。

大町四ツ角から海岸へと向かうと向福寺の少し手前にあります。海岸も近くなり潮風を感じ始める辺りです。この通りには辻の薬師、妙長寺、九品寺、向福寺、光明寺など見所が多くあります。

江戸時代の中期以降になって鎌倉は観光地として賑わうようになりました。それに伴って「七切通し」「五名水」などと名数によって名付けられることが増えました。その中のひとつが「鎌倉十橋」です。じっきょうと読みます。

現在の十橋はほとんどが何の変哲もないコンクリートの橋です。川が暗渠(あんきょ)となり形だけ残るものもあります。しかしながら、それぞれの橋には鎌倉の歴史や逸話が含まれています。それを少しでも知っておけば、鎌倉散策にあと少しの楽しみがプラスされることでしょう。

十橋の多くは鎌倉を代表する河川である滑川に架かっています。滑川は朝比奈峠を源流として十二所、浄明寺と下り、大御堂橋の上流で二階堂川と合流し、名越川、扇ガ谷川、などの小さな川を併せ、由比ケ浜に注ぐ全長約5.5kmの河川です。

地域ごとに別名で呼ばれることもあったようです。上流の胡桃川、大御堂橋の近く文覚上人屋敷跡の辺りを座禅川、本覚寺の夷堂では夷堂川、さらに下って墨売川、閻魔川などでした。

鎌倉十橋(じっきょう)は以下のとおりです。

〈鎌倉十橋〉

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