〈鎌倉十井〉鉄ノ井
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〈鎌倉十井〉鉄ノ井
(〈かまくらじっせい〉くろがねのい)
神話の井戸
北条政子創建の新清水寺にあった鉄の観音像がこの井戸の底から掘り出されたといわれています。
エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市雪ノ下1-8
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
鎌倉十井のひとつ。小町通りの北端、鶴岡八幡宮前の横大路とぶつかるあたりにあります。観光の途中で目にした方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
かつて浄光明寺の前に北条政子が創建した新清水寺がありました。1258年(正嘉2年)に安達泰盛の館があった長谷から出火した火事によって新清水寺は焼失してしまいました。
火事によってなくなった新清水寺の鉄の観音像が江戸時代になってこの井戸から掘り出されたことから鉄ノ井と呼ばれるようになりました。
江戸時代の中期以降になって鎌倉は観光地として賑わうようになりました。それに伴って「七切通し」「五名水」「十橋」などと名数によって名付けられることが増えました。その中のひとつが「鎌倉十井」です。じっせいと読みます。
鎌倉の山の地層は凝灰岩といわれ水が豊富に湧き出ます。筆者が子供の頃に住んでいた鎌倉の家にも井戸があり、その井戸をポンプでくみ上げ蛇口に繋いで生活水としていました。夏でも冷たくて美味しかったと記憶しています。断水でも我が家はいつも通り水が出ていました。
ただ、鎌倉全体としては水質はあまり良くなかったと言われています。そのため、美味しい水の出る井戸は大切にされ、「五名水」「十井」などと呼ばれたそうです。
鎌倉十井は以下のとおりです。