太田道灌屋敷跡

(おおたどうかんやしきあと)

室町後期、鎌倉随一の名将にして名高き歌人

英勝寺の地は、かつて摂津源氏の流れをくむ扇ガ谷上杉家の家宰、太田道灌の屋敷でした。室町後期を代表する名将であり、江戸城を築いたことでも知られています。

太田道灌屋敷跡。石碑は英勝寺の道路沿いにありますからすぐにわかります。

太田道灌屋敷跡。石碑は英勝寺の道路沿いにありますからすぐにわかります。

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3(英勝寺)
アクセス「鎌倉駅」裏駅(西口)下車、徒歩10分。

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太田資長(道灌)は扇ガ谷上杉家の家宰、武蔵守護代。江戸城を築いたことでも知られる名将です。父資清とともに山内上杉家に押されていた扇ガ谷上杉家を盛り立てました。全てにおいて優れた資長(道灌)の力によって扇ガ谷上杉家は勢力を伸ばし、資長(道灌)の威信は並ぶ物のないものとなりました。

1486年(文明18年)、扇ガ谷上杉家当主、上杉定正の糟屋の館(現在の神奈川県伊勢原市)において暗殺されました。享年55歳でした。下克上の匂い漂うこの時代、威信人望ともに高すぎた資長(道灌)を主家が恐れたからとも、扇ガ谷上杉家の増長を快く思わない山内上杉家の画策ともいわれます。

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