蛭ヶ小島

ひるがこじま

源頼朝配流の地

平治の乱に敗れた源頼朝が配流された場所。伊豆半島の北部にあります。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島。

蛭ヶ小島周辺の主な関連史跡。他にもあると思いますので、取材でき次第追加予定です。

蛭ヶ小島周辺の主な関連史跡。他にもあると思いますので、取材でき次第追加予定です。

エリア静岡県
住 所静岡県伊豆の国市四日町17-1

蛭ヶ島公園として整備されています

陽気の良い10月の終わり頃、源頼朝が配流となった伊豆韮山の蛭ヶ小島周辺を訪れました。
平治元年(1159年)、源頼朝は父・源義朝とともに挙兵し、平清盛らを相手に平治の乱を戦って敗れ、翌永暦元年(1160年)3月、蛭ヶ小島に配流されました。頼朝はこの蛭ヶ小島で父・義朝の菩提を弔いながら約20年を過ごし、治承4年(1180年)、平家追討、源氏再興の兵を挙げます。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。

蛭ヶ小島は周辺を山に囲まれた平地です。伊豆半島の北部にあり西にも東にも交通の便が良い位置にあります。伊豆国国府は三嶋大社の近くにあり、時代が下って戦国時代には北条早雲が生涯の居城とした韮山城が蛭ヶ小島のすぐ近くにあります。こういったことから、国府に近く、伊豆半島の中心的な場所だったと想像できます。

伊豆・蛭ヶ小島の位置。

伊豆・蛭ヶ小島の位置。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。

史跡は田畑に囲まれた中にあり、「蛭ヶ島公園」として整備されています。立派な石碑と、源頼朝、政子の「夫婦の像」、茶店などがあります。美味しそうな茶店で喉も乾いていたこともあって、とても立ち寄りたかったのですが、玄関脇の外の腰掛けに犬を連れた方がいて、かなり煩く吠えていたのと、どうもお店の人っぽくもあって(確かめてません)、犬を身近において料理や飲み物を作っているのなら不潔なので、残念ながら止めました。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある夫婦の像。源頼朝、政子の像です。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある夫婦の像。源頼朝、政子の像です。

蛭ヶ小島周辺の景色。

蛭ヶ小島周辺の景色。

蛭ヶ小島周辺の景色。

蛭ヶ小島周辺の景色。

また、園内には、県指定有形文化財「旧上野家住宅」が市歴史民俗資料館として併設されており、江戸期の建物を間近に見ることができます。

蛭ヶ小島は、現在の行政区分では伊豆の国市、最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線の韮山駅です。平成17年(2005年)、伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して「伊豆の国市」となりました。「伊豆の国市」は「南アルプス市」や「西東京市」のようにどうもピンときません。タモリさんが言っていたとおり「地名は土地の記憶」です。韮山市ならよかったと思います。

頼朝による鎌倉創成の第一歩

鎌倉で育ち、子供の頃から蛭ヶ小島が頼朝配流地と思っていましたが、webサイト鎌倉手帳さんを読むと、「実際は、伊豆国に配流とのみ伝わっているので、流された地が蛭ヶ小島だったかどうかは不明。」とあります。確かに吾妻鏡にも伊豆国としか出てきません。真偽の程はわかりませんが、知らなかったことを教えて頂くと、史跡巡りにより楽しさが増します。

治承4年(1180年)8月17日、三嶋大社の神事の日、源頼朝は平家追討の兵を挙げました。工藤茂光、土肥実平、岡崎義実、宇佐美助成、天野遠景、佐々木盛綱、加藤景廉、北条時政ら、頼朝に従う勇士たちは判官・山木兼隆の屋敷を襲撃して討ち取ります。

頼朝は、壇ノ浦の戦い(1185年4月)で平家を滅ぼした後、後白河法皇を始めとする朝廷との熾烈な駆け引きを経て、明治維新まで続く武家政権の根本を創り上げていきます。その第一歩がここから始まったかと思うと、逞しい感触が得られます。

近くには挙兵した頼朝が最初に討った山木兼隆の屋敷跡、山木兼隆の墓、この地域の豪族だった北条一族の屋敷跡、源頼朝の奥州攻め戦勝祈願のために北条時政が建立した北条氏の氏寺・願成就院など関連史跡が多くあります(地図参照)。

蛭ヶ島(源頼朝配流の地跡) ※解説立札の引用

「蛭ヶ島(源頼朝配流の地跡)
 このあたりを、韮山町四日町字蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡男、兵衛佐頼朝配流の地といわれている。
 狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田等の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中洲)が点在し、そのひとつが、この蛭ヶ島であったことが想像される。
 永暦元年(1160)14才でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34才で旗揚げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡等の細部は詳らかではない。
 しかし、『吾妻鏡』治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗揚げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.5粁の守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。
 このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ヶ島で過ごしたものといえよう。
 当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。
 また、この碑の西側にある高い碑は、秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当った萩原正夫が、明治26年に建立したものである。 伊豆の国市」

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。案内板。本文に全文を引用してあります。

源頼朝公配流の地、伊豆蛭ヶ小島にある蛭ヶ島公園。案内板。本文に全文を引用してあります。

近くのお弁当屋さん

蛭ヶ島公園に向かって車を走らせていると、道沿いに「らんちてい」というお弁当屋さんがありました。ちょうど昼時でしたのでのり弁を購入。美味しくて安くて(350円)大満足。ご飯もおかずもなんだかとても綺麗で清潔感があって、好感が持てました。取材旅行のほっとする良い記憶です。今度もこの辺りを通る時は利用したいと思います。

蛭ヶ島公園近くのお弁当屋さん「らんちてい」美味しかったです。

蛭ヶ島公園近くのお弁当屋さん「らんちてい」美味しかったです。

蛭ヶ島公園近くのお弁当屋さん「らんちてい」ののり弁(350円)。美味しかったです。

蛭ヶ島公園近くのお弁当屋さん「らんちてい」ののり弁(350円)。美味しかったです。

中朝表記はダメ

蛭ヶ島公園内の看板などにも、中国語と朝鮮語の表記があります。これ、すぐにやめないとダメです。この土地・国は日本人のものです。支那人や朝鮮人にも何か権利がある(もしくはあった)かのような誤解を子供の無意識に対して与えてしまいます。もちろん電車やファミレスなども同様に削除すべきです。

中朝の好き嫌いは問題ではなく、事実を見て正当に対処しなくてはいけません。中国共産党は2014年、尖閣諸島はもちろん沖縄も日本に権利はないとして公然と日本に宣戦布告し、着実に侵略を進めている国です。北朝鮮は日本人を拉致し、南北朝鮮とも、嘘の歴史を利用して世界中で日本を貶める活動を命がけてやっている国です。

仮に、中朝が日本への侵略や攻撃を一切しない国だったとしても、外国語表記は基本いけません。百歩譲って英語のみでしょう。諸外国に無用な隙を与えるのはトラブルの元です。電車やバス、ファミレスなどに始まり、史跡にまで無防備に仮想敵国の文字を表記するような軽率な行動をする人は、日本人の大人として恥を知りましょう。

蛭ヶ小島フォトギャラリー

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