成福寺
目 次
成福寺
じょうふくじ
鎌倉唯一の浄土真宗寺院
小袋谷にある鎌倉唯一の浄土真宗の寺院です。名執権北条泰時の子、泰次により開かれました。
エリア大船・玉縄
住 所鎌倉市小袋谷2-13-33
宗 派浄土真宗
御本尊阿弥陀如来
創 建貞永元年(1232年)
開 基北条泰次
アクセスJR「北鎌倉駅」下車、徒歩約15分もしくはJR「大船駅」下車、徒歩約17分
第3代執権北条泰時の子、泰次が開基
北鎌倉駅を降りたら大船方面に線路に沿って15分ほど歩くと、俳優・笠智衆さんの墓所として有名な亀甲山法得院成福寺があります。鎌倉唯一の浄土真宗寺院(西本願寺派)としても知られています。
名執権と言われる第3代執権・北条泰時の子、泰次が開基です。泰次は幼少より仏の道に入り、天台宗の僧として成福寺の裏山で修行している時、親鸞聖人に会って弟子となり貞永元年(1232年)、浄土真宗に改宗して成福寺を開いたと伝わります。
親鸞聖人の東国布教
親鸞聖人は健保2年(1214年)に越後から東国布教に出発、常陸国(茨城県)に草庵を結んで20年間布教を行い、その後は京都に帰られました。泰次が親鸞聖人に会ったのは、ちょうど東国布教の間に当たります。
筑波大学の今井雅晴名誉教授は著書『親鸞と如信』において、親鸞は鎌倉を目指したのではないかと指摘されています。また、鎌倉、横須賀、横浜などにある太子像は鎌倉七太子とも呼ばれます。いずれにしても、幕府が鎌倉にあったわけですから、承元の法難による越後流罪から赦免となった親鸞聖人が鎌倉を目指しても不思議ではありません。そして、鎌倉に入り時の執権の子であり僧となっていた泰次に会ったのも自然な話と思えます。
鎌倉には浄土真宗の寺院は一つ、この成福寺しかありません。小田原北条氏が平地に建つ浄土真宗の寺院を反対勢力の拠点となるとして嫌い、三浦や武蔵など周辺に移したというのが通説のようです。
笠智衆さんが眠る場所
境内には大東亜戦争の戦没者慰霊碑が建てられており、一番初めに南雲忠一海軍大将のお名前がありました。南雲大将は山形県米沢のご出身ですが、円覚寺に墓所があったように思います。
成福寺に墓所がある最も有名な方は俳優の笠智衆さん。小津安二郎、黒澤明、山田洋次などの名監督に愛された名優です。個人的に記憶に残るシーンは、小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダース監督の『東京画』でインタビューされるシーンです。撮影は鎌倉・窟小路の旧川喜多邸で行われました。