大江広元の墓(島津忠久、毛利季光の墓)

(おおえのひろもとのはか)

室町、江戸を生き抜き、明治維新を成し遂げた薩長の祖が並んで眠る場所

鎌倉幕府の基盤整備に多大な貢献を果たした貴族、大江広元の墓と伝わるやぐらがあります。階段を登るとまず大きな平場があり、ここは北条義時の墓があったといわれる場所です。平場の左手には北条氏によって滅ぼされた三浦泰村一族の墓があります。

エリア北東
住 所二階堂2-5

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平場の奥、鳥居をくぐって急勾配の階段を登るとやぐらが3つ並んでいます。左から、大江広元、島津忠久、毛利季光の墓となっています。

広元の兄である中原親能が源頼朝と親交があり早くから頼朝の臣下となった縁で京都より招かれました。

頼朝の右腕として活躍し、幕府制度の基盤整備や京男たちが渦巻く朝廷との交渉などに活躍しました。頼朝没後も北条氏を中心とする数多くの政変を巧みに避け、1148年に生まれ1225年に没するまで77歳という長寿を全うしました。

広元の墓と並んで島津忠久の墓もあります。島津氏の祖といわれる人物です。母は源頼朝の側室、比企能員の妹、丹後局。このことは頼朝の落胤(らくいん)であるという言い伝えが生まれる根拠になっていますが、この伝説は現在では真実ではないとされています。

その隣に眠る毛利季光は大江広元の子。毛利元就を生んだ毛利氏の祖です。島津、毛利、明治維新を成し遂げる薩長の祖が並んで眠る場所でもあります。

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