実朝歌碑(由比ケ浜)

(さねともかひ(ゆいがはま))

実朝の言葉と海

小倉百人一首にも選ばれている名歌

エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市坂ノ下26
アクセス江ノ電「長谷駅」下車、徒歩15分(国道134号線沿い)

由比ケ浜をのぞむ歌碑。長谷駅を降りたら海に向かってください。海岸線を走る国道134号線に出たら稲村ケ崎方面へ歩くと公園が見えてきます。その中にあります。

由比ケ浜をのぞむ歌碑。長谷駅を降りたら海に向かってください。海岸線を走る国道134号線に出たら稲村ケ崎方面へ歩くと公園が見えてきます。その中にあります。

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由比ケ浜の稲村ケ崎側の端に坂ノ下地区海浜公園があり、そこにこの歌碑があります。長谷駅から歩いていくのが便利です。この歌が刻まれています、「世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまのを舟の 綱手かなしも」。

日本における近代批評の先導者であり鎌倉文士としても名高い小林秀雄は『実朝』という短編(『無常という事』という本に収録されています)の中で実朝及びこの歌をこう評しています。氏の批評は、常にどんな分野でもそれだけの専門家が追い詰めて行く評論よりも、時空を超えていく快楽を我々に与えてくれます。

「芭蕉は、弟子の木節に、「中頃の歌人は誰なるや」と問われ、言下に「西行と鎌倉右大臣ならん」と答えたそうである(俳諧一葉集)。言うまでもなく、これは有名な真淵の実朝発見より余程古い事である。~中略~万葉流の大歌人という様な考えに煩わされぬ純粋な芭蕉の鑑識が光っているように感じられ、興味ある伝説と思う。必度(きっと)、本当にそういったのであろう。僕等は西行と実朝とを、まるで違った歌人の様に考え勝ちだが、実は非常によく似たところのある詩魂なのである。」

世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまのを舟の 綱手かなしも

「この歌にしても、あまり内容にこだわり、そこに微妙で複雑な成熟した大人の逆説を読みとるよりも、いかにも清潔で優しい殆ど潮の匂いがする様な歌の姿や調の方に注意するのがよいように思われる。実は、作者には逆説という様なものが見えたのではない、という方が実は本当かも知れないのである。」

源実朝 略歴

(みなもと さねとも)1192-1219

第3代将軍、和歌の名手

 河内源氏8代当主。源頼朝の4男。鎌倉幕府第3代将軍。主導権を握った北条氏によって擁立され、1219年(建保7年)頼家の子公暁に討たれます(享年28歳)。これにより河内源氏棟梁の血筋は断絶。当初は外祖父である北条時政が政権を主導し、1205年(元久2年)牧氏事件が起こり北条義時・政子によって時政が伊豆に追放されると、義時・政子が実権を握ります。北条義時が家人を侍に推挙するが実朝は「後難を招く因縁なり」としてこれを認めないなど政治的な能力を見せるものの、時流は北条執権政治へと向かって行きます。現代でも孤高の評価を受ける歌人であり、『金槐和歌集』を編纂しました。

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