白旗湯畑と頼朝宮(草津温泉)

目 次

白旗湯畑と頼朝宮(草津温泉)

しらはたゆばたけとよりともぐう

皇国第一

草津温泉に源頼朝の足跡があります。日本には3万の源泉と3千の温泉地があるといわれますが、中でも草津温泉は林羅山の日本三名泉に選ばれ、他にも日本三大薬泉、自噴日本一と呼び名に困らぬ名湯。江戸時代の温泉番付では東の最高位「東大関」に格付けされています。

「白旗湯畑と頼朝宮」と「御座の湯」。一緒の施設のように見えます。

「白旗湯畑と頼朝宮」と「御座の湯」。一緒の施設のように見えます。

エリアその他
住 所群馬県吾妻郡草津町大字草津421(御座之湯)
アクセス上野駅から特急草津にて「長野原草津口」より、JRバス「草津」下車、東京駅からは長野新幹線「軽井沢」より草津バス・西武高原バス「草津」下車

白旗湯畑と頼朝宮

源頼朝の武威を感じる日の本随一の名湯

巨大な量の温泉が湧き出し、ついつい圧倒されて見つめてしまういわゆる「湯畑」のすぐ側に草津町指定文化財「白旗湯畑と頼朝宮」があります。建久4年(1193年)、源頼朝が浅間山麓で巻き狩りを行っていたときに当地を訪れ、偶然に発見したと伝わります。

現地の立札には次のように説明がありました。

「建久4年(1193年)鎌倉将軍頼朝公が浅間山六里ヶ原の巻狩の折、この草津まで騎馬を進めあれはてた源泉地を改修しみずから入浴されたと伝へられる。以来この湯を御座の湯と呼び、その後いつの頃からか祠を建てて頼朝公を祀った。現在の頼朝宮は天明2年(1782年)8月に改築されたもので、草津温泉伝承(光泉寺蔵温泉奇効記)を今に伝え、草津温泉の入浴客の深い信仰をあつめてきた。
明治20年、白旗の湯と改称されたが、旧源泉は、この湯畑に沈んでいる小さな湯枠の中と考えられる。草津温泉の開湯伝承、温泉信仰にもつらなる歴史的遺跡である。なお階段を登ったところに湯善堂がある。(草津町教育委員会/草津温泉観光協会)」

由緒の真偽なんかどうでもいい、と、呟きたくなる程の素晴らしいお湯

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鑑』に記述があるという話を聞き、調べてみましたが記述は見つかりませんでした。この辺りを治めていた湯本氏が源頼朝が源泉をみつけ、湯本氏を地頭として管理させたという由緒をつくり、権利を認めさせたのではないかといわれています。

由緒の真偽は確かめようもありませんが、「鎌倉」を創成し征夷大将軍となった源頼朝の武威がいかに確かなものであったかということは、この由緒から伝わってきます。

史実として草津温泉の記述が登場するのは室町時代からで、江戸時代に入り真田氏の沼田藩が治め、湯本氏は家老を務めたようです。その後江戸幕府天領となり、明治、大正、昭和を経て、平成が終わろうとする今日でも日本有数の温泉として親しまれています。

紅葉が始まった頃、頼朝の足跡を感じながら「白旗湯畑と頼朝宮」にある「御座之湯」という日帰り温泉に入りました。近くに「白旗の湯」もあり、どちらか迷いつつ、子供連れだったため建物の新しい「御座之湯」を選びました。入場料は大人600円、子供300円とお手頃で、これぞ草津という素晴らしい湯を満喫しました。

湯畑を見下ろす畳敷きの綺麗で広い休憩所には、草津温泉と白旗湯畑・頼朝宮の古い写真が飾られており、旅の充実には大変ありがたい事でした。

白旗湯畑と頼朝宮フォトギャラリー

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