衣張山巡礼道(衣張山ハイキングコース)

(きぬばりやまじゅんれいどう)

源頼朝も歩いた巡礼道。衣張山を巡るハイキングコースとしても人気があります。

源頼朝の観音信仰から生まれたという坂東三十三霊場の第一番 杉本寺から衣張山を越えて第二番 岩殿寺へと至る巡礼道。古道の趣ある巡礼古道と衣張山山頂を経由する平成巡礼道という2つの道程があります。

エリア浄明寺・十二所
主な出入口のアクセス(報国寺口)「鎌倉駅」よりバス「浄妙寺」下車、徒歩6分
     (ハイランド口)「鎌倉駅」よりバス「夕陽台公園」下車、徒歩7分

巡礼古道にある金剛窟地蔵尊。とても迫力があります。

巡礼古道にある金剛窟地蔵尊。とても迫力があります。

巡礼道(衣張山ハイキングコース)地図。

巡礼道(衣張山ハイキングコース)地図。

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巡礼の意味

2つの道程、「巡礼古道」「平成巡礼道」ともに巡礼という言葉が入っています。これは、坂東三十三觀音、第一番杉本寺から第二番岩殿寺へと至る巡礼道であることを意味しています。

三十三という数字は、妙法蓮華経(法華経)の観世音菩薩普門品(観音経)に由来します。観世音菩薩は衆生を救う際に三十三の姿に变化するとされており、その功徳に与るために三十三觀音霊場巡礼が起りました。

三十三觀音霊場の歴史は8世紀、徳道上人による西国三十三觀音に始まります。その後廃れたものの、10世紀頃花山法皇により再興されます。三十三の觀音霊場を巡れば、罪穢れが消え去り、極楽往生できるといわれています。ちなみに、岩殿寺は徳道上人ゆかりの寺院です。

西国三十三觀音を勧請したものは西国写し霊場といわれ、源頼朝創建と伝わり1234年(天福2年)には既に成立が確認される坂東三十三霊場は、その最初期のものです。

神仏を篤く敬った源頼朝はもとより、子の実朝も観音信仰を持っていたことは知られており、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも杉本寺から岩殿寺へと参拝していたことが記されています。坂東三十三觀音が源頼朝による創建と伝わることも説得力があります。

坂東三十三觀音の歴史については、公式サイト「坂東三十三觀音」(http://www.bandou.gr.jp/about/history.php)にとても読みやすくまとめられていますから、ぜひご一読ください。

巡礼古道、平成巡礼道の順にご案内し、その後ろに地図と写真を掲載します。

巡礼古道

巡礼古道は報国寺の少し先から衣張山を越え、鎌倉逗子ハイランドという住宅街に出て、そこから山を下り逗子市の岩殿寺に向かうルートです。巡礼という意味では杉本寺から岩殿寺までを指しますが、特に巡礼古道と標識が掲げられた道は山に入ってからハイランドに出るところまで、所要時間は15分程です。

岩殿寺には参拝せずにハイキングコースとして利用する場合には、山道を抜けてハイランドに出たら6、7分歩いて「夕陽台公園」バス停からバスに乗り鎌倉駅に戻るか、きた道を戻るかですが、1300年の霊場である岩殿寺もぜひ参拝していただきたところです。

巡礼古道は、源頼朝実朝が杉本寺、岩殿寺の両寺院を参拝する際にも同じようなルートを通ったとされる大変な趣のある道です。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも次のような記述があります。 「1193年(建久4年)9月18日 頼朝は岩殿、大倉の両観音堂(岩殿寺・杉本寺)に参拝した。大姫病のための立願であった。

かつては、岩殿寺の山頂付近まで巡礼古道が通じていました。岩殿寺の山頂付近には宅地開発により貴重な史跡が破壊されたことを憂うとともにかつての古道を偲ぶ石碑が建てられています。宅地開発については次の小見出しをご覧ください。

源頼朝は1189年(文治4年)の火災もあり荒廃していた734年(天平6年)創建の古刹、杉本寺に寄進を行ない、再興を助けました。『吾妻鏡』には次のように記されています。 「1191年(建久2年)9月9日 頼朝が大倉観音堂(杉本寺)に参詣した。風雨に晒され甍は破れ軒は傾いていた。頼朝は特に哀れに思い修理のために准布200段を奉加した。」

岩殿寺は721年(養老5年)創建の観音霊場です。現在は曹洞宗ですが当時は真言宗の寺院でした。杉本寺(天台)、岩殿寺(真言)の2つの古刹は源頼朝ゆかりの坂東三十三觀音の第一番、第二番として相応しい歴史を有しています。

杉本寺から金沢街道を渡り、犬懸橋を渡って滑川沿いに歩いたら田楽辻子の道を左へと進みます。そのままみちなりに進むと報国寺に出ます。報国寺山門の左側にある道を進むとすぐ左手に「巡礼古道」の小さな道標がみえてきます。

巡礼古道に入ってすぐは宅地開発のためでしょうか山が切り崩されており、道がとても狭くなっていますが、少し歩くと古道らしい趣の山道になります。途中、道が二つにわかれます。本道は右手ですが、正面の道を数メートル歩くと右手に金剛窟地蔵尊がみえます。

このお地蔵様、ゆかりは不明なのですが、周囲の景観と相まって大変凄みがあります。鎌倉にはやぐらに彫られた仏像が多くありますが、立像は他にはみたことがありません。

近くには報国寺がありますから、その関連で造られたものなのか、全長1,300kmにも及ぶ坂東三十三觀音巡礼の旅の安全を祈願して造られたものなのか、いつ頃できたのか、はっきりしたことは何もわかりませんが、8世紀からの古刹を参拝するため、源頼朝も通った古道に佇んで想像している時間は鎌倉の醍醐味といっていいのではないでしょうか。

金剛窟地蔵尊とわかれて山中の道をいくと、いくつかの庚申塔ややぐらをみることができます。15分ほど歩くと住宅地に出ます。ここからは歩かれる方の目的により、いくつかの道があります。

〈岩殿寺参拝〉古道を抜けて住宅地(ハイランド)にでたらそのままハイランドを抜け、岩殿寺へと向かいます。残念ながら西武によるハイランド開発により古道は破壊されており、舗装路をゆくしかありません。

〈名越切通し〉山道から住宅地へと出たら舗装路をまっすぐ進み、2つ目の十字路を右に進みます。かまくら幼稚園を左に進むと公園があります。この中を入って行くと名越切通しに通じます。

〈衣張山山頂〉住宅地へと出たら右手に公園がありますからこの中を進むと、衣張山山頂へと至る平成巡礼道があります。

〈鎌倉駅・逗子駅に戻る〉山道を出たところから6、7分歩くと夕陽台公園というバス停がありますから、ここからバスに乗れば鎌倉駅もしくは逗子駅に戻れます。

平成巡礼道

平成巡礼道がいつできたのかはわかりませんが、こちらも山中の趣ある道。巡礼古道と違い衣張山山頂を通過するのが特長です。衣張山は源頼朝が衣張山に絹をかけて雪見をして涼を楽しんだことから名付けられました。

杉本寺か金沢街道を渡り、犬懸橋を渡ったら滑川沿いに閑静な道を進むと田楽辻子の道が横切る十字路に出ます。角に平成巡礼道の道標がありますから、そのまままっすぐ進んでください。住宅を抜けたところに入口があります。

衣張山の山頂に向かう分、巡礼古道に比べると登りがキツいですが、途中お年寄りともすれ違ったくらいですから、それほどではありません。また、ほとんどの道は石段になっていますので歩きやすいです。

ハイランド側にある巡礼古道と平成巡礼道の出入口は近いですから、行きは平成巡礼道、帰りは巡礼古道というようにわければ双方を歩くことができます。出入口は掲載したグーグル・マップに詳細な場所をポイントしておきますので、拡大してご確認ください。

西武グループによる鎌倉破壊、鎌倉逗子ハイランド

七里ガ浜の丘陵地を破壊して鎌倉プリンスホテルを建設した西武グループによるさらなる鎌倉破壊が鎌倉逗子ハイランドです。開発業者による自然や史跡の破壊が横行していた昭和30年代を象徴するものでしょう。居住している方々には何の落ち度もありませんが、西武と鎌倉市役所による悲しい鎌倉破壊です。

あるサイトでは、許可も得ずに開発し県道も勝手に移動したなどと書かれていました。もしそれが本当だとしたら史跡の破壊くらいは朝飯前だったでしょう。通常の開発手段をとっていたとしても、土建屋が利益を得るためだけに取り返すことのできない史跡を破壊し、西武に限らずいまでも鎌倉の山はどんどん切り崩されて宅地造成されています。役所はこれを公然と許可しているわけですから、世界遺産がどうのこうのと外人にはんこをもらうことを考えるよりも先にやることがあるのではないでしょうか。

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