上総介広常屋敷跡

(かずさのすけひろつねやしきあと)

自他ともに認める関東最有力御家人

1183年、関東の最有力御家人上総介広常は太刀洗水の近くにあった屋敷で梶原景時に討たれます。頼朝に対して下馬の礼をとらなかったからとか、関東独立の志があったなどその理由は諸説あります。朝比奈切通しへと向かう途中にあります。

エリア浄明寺・十二所
住 所鎌倉市十二所
アクセス鎌倉駅よりバス「十二所神社」下車、徒歩10分

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挙兵した源頼朝にとって最大最強の勢力となった上総介広常の屋敷があったといわれている場所です。十二所神社から朝比奈切通しに向かって歩き、切通しの入口ともいえる三郎の滝のあたりにあります。

1180年(治承4年)8月に挙兵した頼朝は9月の石橋山の戦いに敗れ、真鶴から安房へと渡り、そこで再度の兵を挙げます。この時、頼朝の運命を分けたのが上総・下総の有力勢力、上総介広常千葉常胤の動向でした。

千葉常胤は数百騎を率いた勢力でしたが、上総介広常は『吾妻鏡』によると2万騎もの兵力を持っていましたからそのインパクトは絶大です。

結局二人とも頼朝の膝下に加わり、頼朝は関東を平らげ父祖以来の拠点鎌倉へと入り平氏、木曾義仲、義経、行家、奥州藤原氏と対抗・反乱勢力を次々と追討していきます。

上総氏は上総の実質的な国府長として大きな勢力を持っていました。頼朝の父、義朝を預かったのも上総氏です。そのため義朝も上総の御曹司と呼ばれていました。広常は鎌倉を本拠とした義朝の郎党として保元・平治の乱では義朝に従いました。

功績抜群の広常でしたが、1183年(寿永2年)謀反の疑いがかかり頼朝の命を受けた梶原景時によって誅殺されます。

原因は諸説あります。頼朝に下馬の礼をとらなかったとか、朝廷に対して関東独立の志が強かったためそれが頼朝国家草創のグランドデザインにあわなかったなどです。

この場所は、十二所という静かな地域のなかでも朝比奈切通しという静寂な場所にあります。豊かな森、湧き出る水、切通し、熊野神社太刀洗水、上総広常屋敷跡、十二所果樹園と見所豊富です。何をするにしてもあの静けさと森と水の香りとともにあるこの地域はかえ難い魅力があります。

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