一条恵観山荘

目 次

一条恵観山荘

いちじょうえかんさんそう

国指定重要文化財に指定された、江戸初期の皇族山荘

後陽成天皇の第九皇子、一条恵観の山荘として京都に建てられ、その後鎌倉に移築されました。静かな浄明寺にあり、庭園も復元、傍らには滑川が流れる美しい景観です。

晩秋の一条恵観山荘。

晩秋の一条恵観山荘。

エリア浄明寺・十二所
住 所鎌倉市浄明寺5-1-10
拝観時間公式HPよりご確認ください

アクセスJR・江ノ電「鎌倉駅」よりバス「浄明寺」下車、徒歩1分。もしくはJR・江ノ電「鎌倉駅」より徒歩28分(2.3km)
公式HPhttp://ekan-sanso.jp/index.html

江戸初期の皇族山荘を、往時のままに感じることができる史跡

浄妙寺の門前、金沢街道(旧 六浦道)を挟んで向かい側あたり、滑川に沿った場所に「一条恵観山荘」があります。後陽成天皇の第九皇子であられる一条恵観が正保頃(1645-1648)に京都に建てた山荘を移築、庭園を復元したものです。国の重要文化財に指定された入母屋造、茅葺の山荘と復元された京都風庭園、脇を流れる滑川とあいまってとても美しい景観です。

第107代天皇(御在位1586-1611)、後陽成天皇(1571-1617)は、安土桃山から江戸初期、豊臣秀吉の天下統一から江戸幕府成立という激動の時代を治められました。

後陽成天皇の第九皇子として慶長10年(1605年)に生まれた一条恵観(1605-1672)は、慶長14年(1609年)、五摂家の一つである一条家の一条内基本(前関白)の養子となり兼遐(かねとお)と称し関白、摂政を2度ずつ務めました。

寛永12年(1635)に名を昭良(あきよし)と改め、さらに承応元年(1652年)、恵観と称されました。寛永18年(1641年)頃から、洛北西賀茂に山荘を営んだそうですから、その山荘が今日、鎌倉の浄明寺に移築された一条恵観山荘ということになるのだと思われます。

配布された案内図によれば、一条恵観は「和歌、書、茶の湯、能楽、絵画、立花、香など文化芸能に精通」、「楊梅の実を愛し、天皇へ献上するエピソードも」と記されています。建物内に入ることはできませんが、そうした歴史の重みを感じながら美しい景観を眺めることができます。

晩秋の一条恵観山荘。

晩秋の一条恵観山荘。

文化財基本情報

鎌倉に移築された現在の建物は文化庁によれば次のような基本情報となっています。

時代:江戸前期
〈年代〉正保頃
〈西暦〉1645-1648頃
〈構造及び形式等〉桁行13.0m、梁間7.0m、一重、入母屋造、茅葺、下部、桟瓦葺、南面及び北面庇付、こけら葺
〈重文指定年月日〉1964.05.26(昭和39.05.26)
〈解説文〉後陽成天皇第九皇子であった一条惠観(兼遐)が京都西賀茂川上に造った山荘である。建立年代は正保三年(一六四六)ごろ。のち醍醐家に伝わり、戦後鎌倉に移された。
江戸初期数奇屋造の優れた作である。
〈所在地〉神奈川県鎌倉市浄明寺字宅間543番地
〈旧所在〉京都府京都市北区西賀茂川上町

四阿(あずまや)。

四阿(あずまや)。

国宝・指定重要文化財は全国に2,481件あり、神奈川県には54件。鎌倉関連では一条恵観山荘の他、荏柄天神社 本殿、円覚寺舎利殿、旧石井家住宅東慶寺仏殿、建長寺山門、光明寺本堂、鶴岡八幡宮若宮などがあります。鎌倉市の国宝・指定文化財(建築物)についてはこちらをご覧ください。

結婚式もできます

一条恵観山荘では、見学会や茶室利用、貸切利用なども受け付けているようです。気になった方は問い合わせてみてください。

また、一条恵観山荘では、結婚式もできます。詳しくは公式HP(http://kamakura-wedding.jp/about/ekan-sanso/)をご覧いただくとして、サイトのイメージ写真に外人が起用されているのは、広告代理店的な発想がいかにもふわふわしているようで残念です。せっかく今日まで繋いだ皇室の山荘がもったいないと感じました。

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