〈史跡〉鎌倉市の国宝・指定文化財(建造物)
目 次
〈史跡〉鎌倉市の国宝・指定文化財(建造物)
鎌倉建物巡りの基本はここから
鎌倉市には1件の国宝、21件の国指定建造物があります。こういった目安をきっかけに知れば知るほど鎌倉はもっと楽しくなります。非公開の文化財でも中でも日にちを限って公開されるものもあります。ここでは公開・非公開を問わずにすべてを掲載します。
〈鎌倉市の国宝建造物〉1件
円覚寺 舎利殿
建 造室町前期、桁行三間、梁間三間、一重もこし附、入母屋造、こけら葺
住 所鎌倉市山ノ内409(円覚寺)
公開状況通常非公開(離れた場所から少し見える程度)。正月3が日と11月3日頃に外観のみ公開。
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩1分
関連ページ円覚寺
国宝、舎利殿は円覚寺境内、妙香池の奥にあります。通常は非公開となっていますが、遠目にみることができます。かつて現在の来迎寺(西御門)のあたりにあった鎌倉尼五山第一位の太平寺仏殿を移築したものです。
〈鎌倉の国指定建造物〉21件
鶴岡八幡宮 大鳥居(一ノ鳥居)
建 造1668年(寛文8年)石造明神鳥居、柱に寛文八年戊申八月十五日の刻銘がある
住 所鎌倉市由比ガ浜二丁目
公開状況随時
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
関連ページ一ノ鳥居
鶴岡八幡宮には3つの鳥居があり、いずれも江戸幕府第4代将軍、徳川家綱により寄進された御影石の石像明神鳥居。本当は本殿に近い順に一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居となりますが、現在は反対に由比ヶ浜から一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居と呼ばれています。いずれも関東大震災により倒壊しましたがこの一ノ鳥居だけが元の石材を使って再建されました。高さは8.5メートルあり、鳥居の両側が車道になっています。
建長寺 仏殿
建 造1628年(寛永5年)、桁行三間、梁間三間、一重もこし附、寄棟造、瓦棒銅板葺、 もこし正面軒唐破風附
住 所鎌倉市山ノ内8(建長寺)
公開状況公開
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連ページ建長寺
総門を通り拝観受付を済ませ大きな三門を抜け、柏槙の大木に囲まれた参道を歩くと正面に仏殿が現れます。東京・芝の増上寺にあった崇源院廟の一部を移築し建造されました。崇源院は1626年(寛永3年)に53歳で死去した徳川秀忠の正室お江与の方です。
建長寺 昭堂
建 造1634年(寛永11年)、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、茅葺
住 所鎌倉市山ノ内8(建長寺)
公開状況非公開
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連ページ建長寺
建長寺の塔頭、西来庵にある昭堂(しょうどう)のことです。開山の大覚禅師(蘭渓道隆)が眠る墓所。修行の場である僧堂の一つであり一般参拝客が入ることはできません。
建長寺 唐門
建 造1628年(寛永5年)、桁行一間、梁間一間、向唐門、銅板葺
住 所鎌倉市山ノ内8(建長寺)
公開状況公開
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連ページ建長寺
建長寺境内、方丈前にある唐門。向唐門(むかいからもん)という様式、正面が唐破風の妻入りの門です。仏殿と同じく東京・芝の増上寺にあった崇源院から移築されたものです。崇源院は1626年(寛永3年)に53歳で死去した徳川秀忠の正室お江与の方です。
建長寺 大覚禅師塔
建 造石造、無縫塔
住 所鎌倉市山ノ内8(建長寺)
公開状況非公開
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分(建長寺)
関連ページ建長寺
開山の大覚禅師(蘭渓道隆)の墓塔。西来院の背後にあります。西来院を含めた一帯は僧堂(修行道場)であり一般参拝客が入ることができません。
覚園寺 開山塔
建 造1332年(正慶元年)、石造宝篋印塔、正慶元年壬申仲冬廿七日の刻銘がある
住 所鎌倉市二階堂421(覚園寺)
公開状況非公開
アクセス「鎌倉駅」よりバス「大塔宮」下車、徒歩8分
関連ページ覚園寺
境内奥の墓所にあります。大燈塔と2基並んで建つ開山・智海心慧の墓塔(石造宝篋印塔)。大燈塔は2世大燈源智の墓塔。
覚園寺 大燈塔
建 造1332年(正慶元年)、石造宝篋印塔、正慶元年壬申仲秋廿八日の刻銘がある
住 所鎌倉市二階堂421(覚園寺)
公開状況非公開
アクセス「鎌倉駅」よりバス「大塔宮」下車、徒歩8分
関連ページ覚園寺
境内奥の墓所にあります。開山塔と2基並んで建つ2世・大燈源智の墓塔(石造宝篋印塔)。開山塔は開山・智海心慧の墓塔。
極楽寺 忍性塔
建 造1303年(嘉元3年)、石造五輪塔
住 所鎌倉市極楽寺3-6-7(極楽寺)
公開状況非公開(4月8日、花まつりの日のみ特別公開)
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車すぐ
関連ページ極楽寺
極楽寺奥の院の墓地にある3メートル57センチの大型石造五輪塔。極楽寺開山、忍性の墓塔とされています。
浄光明寺 五輪塔
建 造石造五輪塔
住 所鎌倉市扇ガ谷二丁目266-3、鎌倉市扇ガ谷2-12-1(浄光明寺)
公開状況非公開(4月、鎌倉まつりの時期のみ公開)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連ページ浄光明寺
かつて浄光明寺の東側にあった多宝寺の僧、覚賢和尚の墓。多宝寺は極楽寺、浄光明寺とともに鎌倉における真言律宗の主要な寺院でした。
極楽寺 五輪塔
建 造1310年(延慶3年)、石造五輪塔
住 所鎌倉市極楽寺3-6-7(極楽寺)
公開状況非公開
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車すぐ
関連ページ極楽寺
極楽寺の墓地に建つ石造五輪塔。かつては北条重時の墓塔として1927年(昭和2年)に国の史跡に指定されましたが、1961年(昭和36年)の豪雨の際に倒れ、復旧工事が行われましたが、その時に塔内に納められた品が発見され、極楽寺3世・順忍及び比丘尼禅忍の供養塔であることが判明しました。
安養院 宝篋印塔
建 造1308年(徳治3年)、石造宝篋印塔(相輪を除く) 戊申
住 所鎌倉市大町3-1-22(安養院)
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
関連ページ安養院
鎌倉に現存する最古の宝篋印塔。かつて安養院の地にあった善導寺の開祖、尊観上人の墓と伝わります。安養院は北条政子ゆかりの寺院として、また躑躅(ツツジ)の名所として知られています。
旧一条恵観山荘(旧所在 京都府京都市北区西賀茂川上町)
建 造江戸前期、桁行一三・〇メートル、梁間七・〇メートル、一重、入母屋 造、茅葺、下部桟瓦葺、南面及び北面庇附、こけら葺
住 所鎌倉市浄明寺5-1-10
公開状況公開(公式サイトにてご確認ください→http://ekan-sanso.jp/)
アクセス「鎌倉駅」よりバス「浄明寺」下車、徒歩2分
後陽成天皇の第九皇子として摂政・関白を務めた一条恵観の別邸。京都の西賀茂より移築されました。財団法人恵観公山荘茶屋会が保存・管理しています。
鶴岡八幡宮末社 丸山稲荷社本殿
建 造室町期、一間社流造、銅板葺
住 所鎌倉市雪ノ下2-1-31(鶴岡八幡宮)
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
関連ページ鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮にある最も古い建物。1398年(応永5年)に工事を行ったという記録があります。現在の建物は1500年(明応9年)に建てられたといわれています。
旧石井家住宅(旧所在 神奈川県鎌倉市関谷)
建 造江戸初期、桁行一五・五メートル、梁間九・一メートル、寄棟造、茅葺
住 所鎌倉市植木128(龍寳寺)
公開状況公開(内部は要予約)
アクセス「大船駅」下車、徒歩20分、もしくは「大船駅」よりバス「岡本」下車、徒歩6分
名主であった石井家の住宅。江戸初期の古民家。龍宝寺の境内にあり、民家にあった民具などは隣接する玉縄民俗資料館に展示されています。
鶴岡八幡宮 摂社若宮
建 造1624年(寛永元年)、本殿 五間社流造、銅板葺 幣殿 桁行四間、梁間一間、一重、両下造、銅板葺 拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅 板葺、附・棟札 一枚、寛永元年甲子十一月
住 所鎌倉市雪ノ下2-1-31
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
関連ページ鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は1191年(建久2年)に上宮が造影されるまで若宮(現在の下宮)が本殿でした。源氏の子孫を名乗った徳川幕府により、江戸初期に造営されました。
鶴岡八幡宮 上宮(本殿、幣殿及び拝殿)
建 造1828年(文政11年)、(本殿)九間社流造、銅板葺、(幣殿) 桁行四間、梁間一間、一重、両下造、銅板葺、(拝殿)桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、銅板葺、(回廊)折曲り延長五二間、梁間二間、一重、銅板葺、(末社武内社本殿) 一間社流造、銅板葺、(附・普請文書三巻) 鶴岡文政度御再建及諸向御修繕記録 一 文政度御再建地絵図 一 文政度御再建絵図 一
住 所鎌倉市雪ノ下2-1-31(鶴岡八幡宮)
公開状況拝殿まで公開
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
関連ページ鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮の本宮(上宮)です。現在の建物は江戸幕府第11代将軍、徳川家斉によって造営されました。源頼朝は鎌倉入りするとすぐに由比ヶ浜から現在の地に鶴岡八幡宮を移し社殿を造営しましたが、1191年(建久2年)3月の大火により焼失。頼朝は同年11月には再建しますが、その際に若宮の他に現在の上宮を建て上下二院の現在の形となりました。
光明寺 本堂
建 造1698年(元禄11年)、桁行九間、梁間十一間、一重、入母屋造、向拝三間、 瓦棒板葺、附・棟札 一枚 元禄十一戌寅年五月日
住 所鎌倉市材木座6-17-19
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」よりバス「光明寺」下車、徒歩すぐ
関連ページ光明寺
鎌倉最大の九間堂。1698年(元禄11年)に幕府の上意のもと、江戸において仏像などを開帳、広く勧請し祈祷堂、鎮守、客殿などとともに建立されました。一般参拝客も建物内に入り参拝することができます。
荏柄天神社 本殿
建 造室町前期、三間社流造、銅版葺 附・扉板
住 所鎌倉市二階堂74(荏柄天神社)
公開状況非公開
アクセス「鎌倉駅」よりバス「天神前」下車、徒歩1分、もしくは「鎌倉駅」下車、徒歩20分
関連ページ荏柄天神社
室町前期に鶴岡八幡宮の若宮として建てられ1622年(元和8年)、荏柄天神社に移されたという。荏柄天神社において一般的に参拝する拝殿の奥にあり、全体を見ることはできませんが、屋根部分などを覗き見ることはできます。
建長寺 山門
建 造1775年(安永4年)、三間一戸二階二重門、入母屋造、正面軒唐破風付、銅版葺
住 所鎌倉市山ノ内8
公開状況公開
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連ページ建長寺
巨大な三間二重門。三解脱門ともいわれ楼上には釈迦如来、五百羅漢、十六羅漢が安置れています。1758年(宝暦8年)、現在ある大扁額(建長興国禅寺の大きな額)をかけるために山門の改築が計画されました。勧進を始めたものの計画は遅れ幕府の援助を得ることにより計画から17年後に完成しました。
建長寺 法堂
建 造1814年(文化11年)、桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、銅版葺
住 所鎌倉市山ノ内8
公開状況公開
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連ページ建長寺
千手観音像とパキスタンより寄贈された釈迦苦行像のレプリカを安置し、鎌倉に住んだ日本画家小泉淳作による天井画(雲龍図)が著名。1802年(享和2年)頃より法堂の再建が計画され、1814年(文化11年)に仏殿のあった場所に上棟されました。
英勝寺 仏殿
建 造1636年(寛永13年)、桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、瓦棒銅板葺 (附・棟札 四枚)寛永二〇年八月一六日、宝暦四年三月二五日、天保六年一〇月、扁額 一面 寛永二〇年四月一一日、(梁牌 二枚)寛永二〇年八月日の記があるもの 一 住持玉峯清因の記があるもの 一
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩10分
関連ページ英勝寺
英勝寺は江戸初期の鎌倉における特筆すべき新寺創建です。創建当時から残る仏殿には御本尊の阿弥陀三尊像が安置されています。浄土宗の尼寺ながら禅宗様方三間裳階(もこし)付の意匠となっています。
英勝寺 山門
建 造1643年(寛永20年)、三間一戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺(附・棟札 二枚)寛永二〇年八月一六日、大正一四年一一月、(扁額 二面)寛永二〇年四月一〇日、寛永二一年八月
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩10分
関連ページ英勝寺
英勝寺の開基、英勝院は徳川家康の側室であり、後に水戸頼房の養母となりました。頼房の子、松平頼重は英勝院の一周忌に禅宗様三間二重門の山門を造営し、良好な状態を保ち現存しています。仏殿と同じく銅板葺き屋根の直線的な意匠は英勝寺建造物の特徴といえます。
英勝寺 鐘楼
建 造1643年(寛永20年)、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、瓦棒銅板葺
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩10分
英勝寺
袴をはかせたようにゆるやかに膨らむ鐘楼は、袴腰鐘楼(はかまごししょうろう)と呼ばれます。
英勝寺 祠堂
建 造江戸初期、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、銅瓦葺 附・英勝院墓 一基、石塔笠塔婆
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩10分
関連ページ英勝寺
祖先の霊を祀る祠堂(しどう)。英勝寺の開基、英勝院の位牌を祀る建物。水戸(徳川頼房)の子、徳川光圀により建立されたと伝わります。現存しており、保護のため外部が覆われています。
英勝寺 祠堂門
建 造江戸初期、一間一戸平唐門、銅瓦葺
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩10分
関連ページ英勝寺
開基、英勝院の位牌を祀る祠堂の門。銅瓦葺きの平唐門。欄干にある牡丹などの透彫りが見所。