極楽寺

(ごくらくじ)

幕府と結びつき大いに栄えた

北条義時の三男、泰時の弟である重時によって建立され、真言律宗の忍性が開山しました。和賀江や六浦律といった港湾施設に関所を設け大きな収益を得るとともに乞食やライ病患者の救済に努めたことは有名です。

エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市極楽寺3-6-7
宗 派真言律宗
本 尊釈迦如来
創 建1259年
開 基北条重時、忍性(開山)
札 所鎌倉三十三観音札所第22番、鎌倉二十四地蔵第20番、21番
文化財五輪塔(忍性塔)、木造釈迦如来立像(国重文)
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車すぐ

極楽寺。かつては幕府と結びつき広大な寺領を誇りました。

極楽寺。かつては幕府と結びつき広大な寺領を誇りました。

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鎌倉の西境にある極楽寺は真言律宗の関東における最大の拠点。鎌倉では真言律宗の寺院はとても珍しいです。北条泰時の弟、北条重時が創建し、良観房忍性(1217-1303)が開山した中世鎌倉おいて大いに栄えた寺院です。往時には100以上の塔頭があり癩宿などライ病患者の救済施設があったことでも有名です。

もともとは深沢にあった念仏系の寺院であったそうです。六波羅探題として17年にわたり京都の責任者を務め、人望の厚かった北条重時は、地獄谷と呼ばれて死骸が放置され乞食や浮浪者が集まる場所だったこの地に極楽寺を移しました。

1267年(文永4年)に忍性が入寺すると、乞食やライ病患者の救済や尼寺の復興などに努めるとともに幕府と深く関係し道路や橋、港湾の整備を行い関所を設置するなど積極的に事業を展開し大きく発展します。特に和賀江嶋や六浦律といった鎌倉の主要港湾施設の修造によって関所を設置したことにより大きな利益を得ます。

1308年(徳治3年)に火災で焼失したことを始めその後も度重なる焼失と復興を繰り返し、現存する施設は山門(1863年)の他は近代に入って再興されたものです。

極楽寺の属する真言律宗の総本山は奈良の西大寺。既存の仏教に対する批判から叡尊(1201-1290)が起こした宗派です。極楽寺を開山した忍性はこの叡尊の弟子として民衆への布教を展開しました。

同時代の日蓮と忍性の間には確執があり日蓮が処刑寸前となった龍ノ口法難などは忍性が幕府に働きかけたといわれています。

明治に入った1872年(明治5年)、明治政府は諸宗派の整理を行い律宗系の最大勢力であった真言律宗は真言宗にまとめられますが、その後の独立運動により1895年(明治28年)には独立を成し遂げました。

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