阿仏尼の墓

あぶつにのはか

『十六夜日記』の作者、阿仏尼の墓と伝わります。

阿仏尼は十六夜日記の作者であり、冷泉家の祖、冷泉為相の実母です。訴訟のため鎌倉を訪れ、この地で没しました。

阿仏尼の墓。

阿仏尼の墓。

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3(英勝寺)
アクセスJR・江ノ電「鎌倉駅」下車、徒歩10分

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息子・冷泉為相の墓と向かい合うように

英勝寺の崖下、公道に面したところにやぐらがあり、中に阿仏尼の墓と伝わる供養塔があります。

阿仏尼(1222?-1283)は、藤原定家(1162-1241)の子、正二位・権大納言 藤原為家(1198-1275)の側室です。阿仏尼の子は冷泉家の祖となった冷泉為相(1263-1328)。

弘安2年(1279年)〜弘安3年(1280年)、所領紛争を幕府に訴えるため京都から鎌倉へと下り、その道中と滞在を『十六夜日記』に記しました。

阿仏尼の墓。

阿仏尼の墓。

供養塔の台座の部分に「阿佛」と刻まれていることから、阿仏尼の供養塔であると伝わっていますが、真偽の程は定かではありません。しかし、横須賀線の線路を挟んで向かい側にある浄光明寺には息子である冷泉為相の墓があり、向かい合うように母である阿仏尼の墓があるのは自然な気がします。

浄光明寺の創建は建長3年(1251年)、開基は第5代執権北条時頼・第6代執権北条長時であり、往時は現在よりも大きな伽藍であったといいますから、阿仏尼が没した弘安6年(1283年)頃はこの辺りまで境内だったのかもしれません。

小さなやぐらの小さな供養塔ですが、想像は膨らみます。阿仏尼が鎌倉で過ごした屋敷跡は極楽寺の月影ヶ谷にあります。

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