満昌寺
(まんしょうじ)
源頼朝の挙兵に命を捧げた三浦義明の弔いに頼朝が建立
平氏を滅ぼし、奥州を平らげ、征夷大将軍となった源頼朝は苦しい挙兵時に一身を捧げ、頼朝を助けよと一族を逃し一人衣笠城合戦に散った三浦義明の菩提を弔うために一堂の建立を発願しました。それが義明山 満昌寺です。
エリア横須賀
住 所横須賀市大矢部1-5-10
宗 派臨済宗(建長寺派)
本 尊宝冠釈迦如来像
創 建1194年
開 基源頼朝、天岸慧広(中興開山)
文化財本尊華厳釈迦像(市重文)、三浦義明坐像(国重文)、天岸慧広坐像(市重文)、麿崖仏(市重文)、三浦義澄墓(市重文)
アクセスJR「衣笠駅」下車、衣笠十字路より野比行バス10分「満昌寺前」下車すぐ、または京急「北久里浜駅」下車、岩戸団地循環バス10分「大矢部3丁目」下車、徒歩10分
公式HP
http://manshoji.d.dooo.jp/

満昌寺本堂。静かな境内は平安以来三浦の地に勢力を誇った三浦一族のゆかりの風格を感じます。
満昌寺は源頼朝の挙兵に命を捧げた三浦義明が眠るお寺です。源頼朝は平氏を滅ぼし、奥州をも平定、征夷大将軍となった後の1194年(建久5年)9月29日、故三浦義明の菩提を弔うため一堂を建立することを思い立ったと『吾妻鏡』に記されています。
創建時の宗派は不明ですが、鎌倉時代末期に佛乗禅師天岸慧広が中興開山し臨済宗建長寺派となりました。本堂内には御本尊の華厳釈迦如来像、佛乗禅師天岸慧広坐像を祀ります。
本堂背後にある御霊神社に国の重要文化財に指定されている三浦大介義明坐像をまつり、御霊神社の背後には三浦義明の廟所といわれる廟所があります。この廟所は奥の院といわれ、鎌倉時代末期の五輪塔、宝篋印塔、板碑があります。さらに、本堂前には源頼朝手植えと伝わる躑躅(ツツジ)の大木があります。躑躅(ツツジ)とは思えない逞しい幹に圧倒されます。古木のため花はつきません。
『吾妻鏡』には満昌寺について何か所か記述があります。 1197年(建久8年)8月27日「頼朝は三浦義明のために自ら建立した満昌寺に参拝。御家人達にこう命じた。「義明は忠功無二の旧臣であり今日墓前に立つと生前の姿を思い出す。御霊明神として敬うように」。
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満昌寺フォトギャラリー
- 満昌寺。三浦氏の居城であった衣笠城の近くにあります。源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立したのが始まりです。三浦義明の首塚や国の重要文化財となっている三浦大介義明坐像などがあります。
- 満昌寺本堂。静かな境内は平安以来三浦の地に勢力を誇った三浦一族のゆかりの風格を感じます。
- 本堂前、源頼朝手植えと伝わる見事な躑蠋(ツツジ)。枝の間に頭を入れると頭痛が直るという言い伝えがあります。
- 満昌寺本堂左手、御霊神社へと向かう道。御霊神社には宝物殿や三浦義明首塚があります。
- 満昌寺、御霊神社。階段を登ると宝物殿や三浦義明廟所があります。
- 満昌寺、御霊神社の階段。とても美しく設えられています。
- 満昌寺、宝物殿。
- 満昌寺、宝物殿の右手をいき、三浦義明廟所へと向かいます。
- 満昌寺、三浦義明廟所。
- 満昌寺、三浦義明廟所。中央には義明の供養塔といわれる宝篋印塔、右に義明の妻の五輪塔、左に板碑。宝篋印塔は鎌倉末期から室町の形式、五輪塔と板碑は鎌倉末期の形式です。
- 満昌寺本堂前にある源頼朝公手植えと伝わる躑躅(ツツジ)。
- 満昌寺のツツジ。源頼朝公手植えと伝わるツツジの幹。ツツジとは思えない逞しさ。
- 満昌寺駐車場にあるヤマツツジ。八重桜や久留米ツツジもみえています。
- 満昌寺の久留米ツツジ。
- 満昌寺の牡丹。
- 満昌寺の牡丹。背後には藤棚もみえています。牡丹と藤は時期が重なるため両方楽しむことが出来ます。
- 満昌寺の牡丹。
- 満昌寺の藤棚。
- 満昌寺境内の凌霄花(ノウゼンカズラ)。夏に咲きます。静かな境内に鮮やかなノウゼンカズラが映えます。
- 満昌寺、地図。