光念寺
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光念寺
(こうねんじ)
和田義盛の安房落ちを助けた筌龍弁財天
石橋山の合戦に敗れ、真鶴から安房へと落ち延びる源頼朝勢。後に鎌倉幕府侍所別当となった武勇の将、和田義盛もまたその中にいました。船上の飢えを救った漁具が後に義盛の夢中、龍となって昇天したことから、これを義盛自ら祀ったのが三崎の光念寺です。
エリア三浦市
住 所神奈川県三浦市三崎1-18-1
宗 派浄土宗
創 建1190年
開 基和田義盛
アクセス京急「三崎口駅」よりバス「三崎東岡」下車、徒歩5分
〒238-0243 神奈川県三浦市三崎1丁目18−1
三崎の丘の上にある浄土宗の寺院。源頼朝を挙兵より支えた三浦一族の和田義盛が創建しました。正式には浄土宗見龍山無量寿院、本尊は阿弥陀仏です。三崎城に近い三崎の丘の上、源頼朝の桜の御所跡に建つ本瑞寺のとなりにあります。三浦半島の南端にある三崎はマグロの水あげで知られ暖かく爽やかな気候は散策にはうってつけです。
『三崎志』には1190年(建久元年)、開基は和田義盛と記され、『新編相模国風土記稿』には1564年(永禄7年)に死亡した善芳とされています。毎年11月3日から5日に行われる「お十夜」は大変賑わいます。
源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、和田義盛もともに真鶴から安房へと落ち延びました。その船上において流れてきた筌(うけ)という漁具に飢えを助けられました。義盛はこの筌(うけ)が後に龍となって昇天していく夢をみたことから、筌龍弁財天と名づけて、光念寺を創建して祀ったと伝えられています。
和田義盛(1147-1213)は三浦一族の当主、三浦義明の子。弓馬に優れた武将として源頼朝の「鎌倉」創世を支え、鎌倉幕府、武の長官である侍所別当に就任し幕府の中枢を担った人物。現在の三浦市初音町和田を治めたことから和田を名乗り、当地や鎌倉には和田義盛ゆかりの史跡がいくつも残されれています。幕府を支えた名称でしたが、1213年(建暦3年)の和田合戦において北条義時と戦い、一族もろとも滅びました。和田義盛について詳しくは名前をクリックしてください。詳細頁が表示されます。
境内には、『三崎志』の著者であり俳人の鴬丘舎草也(木村市明・1749没)の墓碑があります。