2015年2月18日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 三浦 光念寺 光念寺 (こうねんじ) 和田義盛の安房落ちを助けた筌龍弁財天 石橋山の合戦に敗れ、真鶴から安房へと落ち延びる源頼朝勢。後に鎌倉幕府侍所別当となった武勇の将、和田義盛もまたその中にいました。船上の飢えを救った漁具が後に義盛 […]
2014年10月6日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 寺と神社 東漸寺(横須賀市) 東漸寺は三浦義明の五男、義季(義秀)が自身の屋敷を寺院としたと伝わります。源頼朝ゆかりのに日金地蔵を安置しています。
2014年10月6日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 寺と神社 十二所神社(三浦十二天) 三浦義明の弟、三浦為清の屋敷の守護として創建されたのが三浦十二天です。明治の神仏分離・廃仏毀釈以降、十二所神社となりました。
2014年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 三浦大介腹切の松 三浦大介腹切の松。1180年(治承4年)、源頼朝の挙兵に加わった三浦氏の当主、三浦義明は衣笠城合戦に敗れこのあたりにあった松の下で自害したと伝わります。
2014年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 三浦 和田城址 三浦義明の孫、和田義盛は弓の達人として源頼朝挙兵以来数々の戦功を挙げ、鎌倉の武の長である侍所別当となりました。同時代、三浦の当主は義村、和田は義盛。義村は和田合戦において生き残るために義盛を裏切ります。もしこの時義盛と義村、三浦一族が団結していたら、今日の世は違った形になっていたかもしれません。
2014年3月14日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 三浦 和田義盛旧里碑 鎌倉から逗子、葉山を過ぎて海岸線を約20km下った三浦市初声町和田に和田義盛旧里跡があります。源頼朝とともに挙兵し数々の戦功を重ねた勇者、和田義盛の本拠地です。三浦義明の孫として生まれた義盛は和田の地を領地としたことから和田を名乗りました。
2014年2月6日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 薬王寺跡 薬王寺跡は、平治の乱にも父三浦義明とともに参加し、源氏累代の家人として源頼朝の挙兵、幕府創成にも中心的役割を果たした三浦一族の当主、三浦義澄の墓所です。
2014年2月6日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 衣笠城址 平安以来、三浦半島と安房に勢力を張った三浦一族の居城が衣笠城です。源頼朝挙兵に源氏累代の家人として即座に応じた三浦一族は、酒匂川増水により石橋山合戦に間に合わず、衣笠城に籠城。平氏の大軍に囲まれます。
2014年2月4日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 寺と神社 満願寺 いまから830年の昔、打倒平氏の兵を挙げ治承・寿永の乱を治めた源頼朝は「鎌倉」という新しい概念とそして幕府を創成しました。満願寺を創建した佐原十郎義連は、三浦義明の子にして、頼朝に従い数々の功を成した勇者です。特に平家物語における一ノ谷の合戦「鵯越」一番乗りの伝説は有名です。
2014年2月4日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 三浦 海南神社 海南神社は三浦一族の祈願所であり、三浦義明は源頼朝挙兵をこの神社で占ったといいます。平氏を打倒し鎌倉幕府を開いた頼朝が寄進した大銀杏がある三浦半島の総鎮守であり、そのゆかりは遠く清和天皇の御代(858-876)に遡ります。