安達盛長の墓

あだちもりながのはか

源頼朝の側近、安達盛長の墓所

源頼朝の伊豆配流時代から仕えた忠臣、安達盛長の墓。伊豆修禅寺背後の裏山にあります。

安達盛長の墓。

安達盛長の墓。

修善寺略図

修善寺略図

エリアその他
住 所静岡県伊豆市修善寺964(修禅寺)

源頼朝に最も信頼された側近

治承・寿永の乱、鎌倉幕府創成期に源頼朝の側近として活躍した有力御家人、安達盛長(1135-1200)の墓が伊豆・修禅寺にあります。修禅寺の裏山、桂苑墓地の入口にひっそりと佇んでいます。

安達盛長は、源頼朝の乳母である比企尼の長女である丹後内侍を妻としたことから、伊豆配流時代から頼朝に仕えました。伊豆配流時代は京都の情勢を頼朝に伝え、頼朝の挙兵に従って戦い、数々の合戦に従軍し功を挙げます。

安達盛長の墓。

安達盛長の墓。

盛長の屋敷は鎌倉市にある甘縄神明神社のあたりあったとされ、現在でも石碑が建てられています。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』には、頼朝が盛長の屋敷を訪れる下りが何度も登場します。平治の乱に敗れて伊豆蛭ヶ小島に配流され、20年を過ごした苦労時代から支えてくれた盛長への信頼の厚さが伺えます。

娘は修禅寺に幽閉・誅殺された源範頼の妻

正治元年(1199年)源頼朝が死去すると出家し、蓮西と名乗りました。この時、保延元年(1135年)生まれの盛長は65歳。源頼家が第2代将軍になると、十三人の合議制の一人、三河国守護となり幕府の中枢で宿老として重きをなします。正治2年(1200年)6月9日、死去。享年66歳でした。

墓所は、ここ修禅寺の他に愛知県蒲郡市の長泉寺にもあります。安達盛長の娘は源範頼の妻となっており、修禅寺は範頼が幽閉・誅殺された場所ですから、そういった関わりがあるのではないかと思います。長泉寺は盛長が三河守護であったことと関係があるのでしょう。

安達盛長の墓。

安達盛長の墓。

比企尼が源頼朝の乳母であり、生涯頼朝を支えたことから、安達盛長も源氏と深い関わりを持っています。比企尼の甥(後に養子)である比企能員源頼家の乳母父、能員の娘である若狭局は頼家の側室となって嫡子・一幡を産んで権勢を強めました。また、比企尼の次女である河越尼の娘は源義経の正室・郷御前です。そして、先述のように盛長の娘は源範頼の妻となっています。

おそらく盛長は、源頼朝亡き後は2代将軍である源頼家に無事将軍職を務めて欲しかったでしょう。しかし盛長は頼家に訴訟の沙汰を禁じる(頼家から権力を奪う)十三人の合議制の一人となりました。

安達盛長の墓。

安達盛長の墓。

源頼朝の深謀遠慮を理解し、生涯官職に着くことはなかった盛長が、頼家を助ける劇的な行動を起こさなかったのは、高齢だったためか、北条時政・義時の権力が大きかったのか、頼家に人望がなさすぎたのか、きっとその全部だろうなどと考えながら墓前に手を合わせました。

伊豆修善寺には、修禅寺源頼家の墓源範頼の墓、安達盛長の墓など鎌倉関連の史跡があります。温泉に入って、温泉街で遊べる巡礼旅行には最適ではないでしょうか。盛長の墓からは富士見台、東梅林に登っていくことができますから、梅の季節にもう一度訪れてみたいものです。

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