新編鎌倉志

黄門様による、元祖鎌倉ガイド

新編鎌倉志 第二巻

新編鎌倉志 第二巻

『新編鎌倉志』(しんぺんかまくらし)は江戸時代の1685年(貞享2年)に刊行された鎌倉の地誌です。「黄門様」として現在でも親しまれている水戸藩主・水戸光圀が、1673年(延宝元年)に自身が鎌倉を見聞した経験を元に、河井恒久らに命じて12年の歳月をかけ全8巻12冊に編纂しました。総計240か所超に及ぶ鎌倉・江ノ島などの名所や旧跡を解説しており、現在に至るまで小誌を含め各種案内の「元ネタ」となっています。

1333年(元弘3年)後醍醐天皇の倒幕計画により鎌倉幕府は滅亡し、約140年の歴史に幕を閉じました。しかし、後醍醐天皇の統治は長くは続かず源頼朝に近い血統を持つ足利尊氏が室町幕府を開き鎌倉には東国を統治する鎌倉公方が置かれます。

鎌倉は戦国動乱期には相模三浦氏、後北条氏により統治され、戦国後期からは徳川家康が統治者となります。源頼朝を敬い、源氏の一流を名乗り『吾妻鏡』を愛読していたという徳川家康は鎌倉を庇護します。

『新編鎌倉志』の編纂者である水戸藩主・徳川光圀のゆかりは、現存する鎌倉唯一の尼寺である英勝寺にも残っています。英勝寺は、江戸時代を通じて水戸徳川家の姫が住職を務め、英勝院本尊の阿弥陀三尊像は水戸光圀が運慶に作らせたといわれています。水戸光圀はこの英勝寺を拠点として名所旧跡を訪ねました。

武家・源氏によって統治された室町・江戸時代はその聖地として尊崇を受けた鎌倉でしたが明治維新によっておこった神仏分離と廃仏毀釈運動により直接的に大きな打撃を受けます。院政から武家政権へと日本の構造を変えた「鎌倉」ですから天皇家・朝廷へと大政奉還が行われた明治政府が「鎌倉」をよく思うはずがありません。特に仏教関連施設は鶴岡八幡宮をはじめ多くの場所で破壊の憂き目をみます。

『新編鎌倉志』は廃仏毀釈により鎌倉の仏教関連施設が破壊される以前の姿を伝えてくれるありがたい書物でもあります。また、鎌倉の地理を始め名所旧跡を網羅しており、現在の我々がみても大変参考になるものです。

水戸光圀は黄門様としてテレビドラマシリーズでは各地を遊覧するイメージがありますが、実際にはこの鎌倉が唯一の旅であったともいわれています。

底本は早稲田大学デジタルライブラリーにあります→http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_04202/

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