大内惟義
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大内惟義
(おおうち これよし 生没年不詳)
門葉の筆頭として在京御家人をまとめた
平賀義信の長男。信濃国佐久郡平賀郷(現 長野県佐久市)を本拠としており治承・寿永の乱の初期においては独自に平氏打倒の行動をとり木曾義仲や甲斐源氏と共に戦っていたと思われる。1183年(寿永2年)頼朝による義仲追討軍が信濃に出兵した頃から頼朝旗下に入り活躍する。源氏門葉として幕府内において重きをなし、特に近畿6か国の守護として在京御家人の代表を務め、後鳥羽上皇に近侍しながら鎌倉との調整を行った。1213年(建保元年)8月、実朝が新御所に入る際には執権北条義時に次ぐ席を得ている。子の惟信は承久の乱(1221年)においては幕府を離反、後鳥羽上皇に味方し敗死。平賀・大内氏は滅びた。