清澄寺

目 次

清澄寺

(せいちょうじ)

日蓮が悟りを開いた場所

日蓮は、建長5年(1253年)4月28日早朝、ここ清澄寺の旭が森から朝日に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えて悟りを開き立教開宗。時に日蓮32歳でした。

清澄寺、大堂。天和2年(1682年)の建物です。

清澄寺、大堂。天和2年(1682年)の建物です。

エリア千葉
住 所千葉県鴨川市清澄322-1
宗 派日蓮宗
本 尊十界曼荼羅
創 建宝亀2年(771年)/不思議法師、昭和24年(1949年)日蓮宗に改宗
アクセスJR外房線「安房小湊駅」より、鴨川日東バス(天津駅・鴨川駅方面)に乗車、「神明神社前」下車。もしくは同駅からタクシーにて約5分
公式HPhttp://www.shinmei.or.jp/ja/

〒299-5505 千葉県鴨川市清澄322−1

日蓮宗はここから始まった

行政区分の鎌倉市は境界線に区切られていますが、「鎌倉」は日本中にあります。ここ、清澄寺もその一つです。清澄寺は千葉県の外房、鴨川市の山中にあり、鎌倉仏教の巨人として今日まで日本に多大な影響を与える日蓮が出家し悟りを開いた(立教開宗)場所として知られています。鎌倉仏教十三宗の一つ、日蓮宗はここから始まったわけです。

鴨川は日蓮の生誕地でもあります。誕生の地である小湊には誕生寺があり、日蓮上人の誕生を祝ったという小湊の鯛は日蓮の化身として崇められ、現在に至るまで禁漁。大切に守られており、昭和42年(1967年)には特別天然記念物に指定されています。

日蓮が生まれ育った小湊と清澄寺は約11.5kmの距離にあります。現在は山を登るとはいえ舗装道路になっていますから車で約20分あれば着いてしまいますが、日蓮が修行に通っていた当時は、道の悪い山登りだったでしょうから、昔の方の健脚でも2〜3時間といったところでしょうか。道の途中には源頼朝が伊勢の神々を勧請した天津神明宮があり、頼朝と日蓮が交差します。

清澄寺と門前。

清澄寺と門前。


天津神明宮の御正殿。左右には紅山桜が植えられています。別名は大山桜、蝦夷山桜。東北や北海道に自生している桜です。まだ鎌倉のソメイヨシノは咲いていませんでしたが、もう咲いていました。

天津神明宮の御正殿。左右には紅山桜が植えられています。別名は大山桜、蝦夷山桜。東北や北海道に自生している桜です。まだ鎌倉のソメイヨシノは咲いていませんでしたが、もう咲いていました。

日蓮ゆかりの史跡を巡り、清澄山に登る

前日、日蓮誕生の地にある誕生寺に参拝、小湊鯛の浦を見物し、この日は、宿屋のあった小湊漁港あたりから自動車で清澄寺へと出発。途中、源頼朝と日蓮にゆかりの天津神明宮に参詣しました。

千葉、鴨川の海と山。山麓あたりに、日蓮生誕地に創建された誕生寺の堂宇がみえます。

千葉、鴨川の海と山。山麓あたりに、日蓮生誕地に創建された誕生寺の堂宇がみえます。

外房黒潮ラインを天津交差点で折れ、JR外房線「安房天津鴨駅」を過ぎて清澄養老ラインに入り、ひたすら登ること約6kmで清澄寺に到着しました。標高は約310メートルです。天津神明宮に立ち寄らずに小湊あたりから直行すれば15分程の距離かと思います。

清澄寺門前から望む山々。標高は310メートル程です。

清澄寺門前から望む山々。標高は310メートル程です。

電車・バスをご利用の場合には、JR外房線「安房天津駅」より登山バス(日東交通)にて約15分です。

清澄寺門前のバス停。さらに山を登る奥清澄行きと、安房天津駅行きがあります。前者は8:09、※9:29、※12:56、※15:16、※16:26、※17:44、※18:49。後者は7:31、8:41、10:11、13:31、15:41、16:53、18:09となっています。※印の時刻はデマンド運行となる為、清澄寺〜奥清澄の間で乗車される場合は、事前予約が必要になります。(予約専用ダイヤル0120-210-175/鴨川日東バス)。この写真は平成29年(2017年)3月31日のものです。

清澄寺門前のバス停。さらに山を登る奥清澄行きと、安房天津駅行きがあります。前者は8:09、※9:29、※12:56、※15:16、※16:26、※17:44、※18:49。後者は7:31、8:41、10:11、13:31、15:41、16:53、18:09となっています。※印の時刻はデマンド運行となる為、清澄寺〜奥清澄の間で乗車される場合は、事前予約が必要になります。(予約専用ダイヤル0120-210-175/鴨川日東バス)。この写真は平成29年(2017年)3月31日のものです。

清澄寺と日蓮

清澄寺は虚空蔵菩薩堂として始まり、9世紀に天台宗となり約800年。その間13世紀には日蓮が修行します。江戸初期に第2代将軍徳川秀忠により真言宗に改宗、約380年を経て昭和25年日蓮宗に改宗、日蓮宗霊跡寺院として現在に至っています。

◎771年(宝亀2年) 旅の僧であった不思議法師が当地を訪れ、虚空蔵菩薩を祀る寺を建立し開山。山岳信仰の霊場となりました。
◎836年(承和3年) 天台宗比叡山延暦寺の慈覚大師円仁が虚空蔵菩薩の前で21日間の修行を行い、この山は天台宗の寺院となります。
◎1157年(嘉禄元年) 北条政子が砲塔・論蔵・大蔵経を納めました。
◎1222年(貞応元年) 安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市小湊)において日蓮誕生。
◎1233年(天福元年) 日蓮、清澄寺に入門。師は道善。
◎1238年(暦仁元年) 日蓮、出家。「是生房蓮長」と名乗ります。
◎1245年(寛元3年) 日蓮、比叡山に遊学。
◎1246年(寛元4年) 日蓮、三井寺へ遊学。
◎1248年(宝治2年) 日蓮、薬師寺、仁和寺、高野山へ遊学。
◎1250年(建長2年) 日蓮、天王寺、東寺へ遊学。
◎1253年(建長5年) 日蓮、清澄寺に戻る。4月28日早朝、清澄寺の旭が森から朝日に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えて悟りを開き立教開宗。伝法灌頂を受けます。時に日蓮32歳。
◎1254年(建長6年) 清澄寺を下山し、鎌倉へ。辻説法を始めます。
◎1618年(元和4年) 徳川家康の帰依を受けた京都東山にある真言宗智山派の総本山、智積院の頼勢が入山し、清澄寺は真言宗に改宗する。 
◎1920年(大正9年) 真言宗であった清澄寺が法華山門不入を解いて立教開宗会を催す。
◎1949年(昭和24年) 清澄寺、日蓮宗に改宗。
◎1973年(昭和48年) 祖師堂建立。

境内の様子

門前の茶店が数件軒を連ねる道を抜けると、清澄寺の堂宇がみえてきます。江戸末期に建てられた仁王門を抜けると左手に大堂、祖師堂、本院などの大きな建物があります。中央には車が止められる場所があり、右手に研修道場や報恩殿、歴代墓などがあります。

清澄寺境内。

清澄寺境内。

大堂、祖師堂、観音堂に参拝し、再び仁王門のあたりに下りてくると、今度は日蓮が立教開宗の題目を唱えたという場所を目指して歩いていきますが、途中、一目でそれとわかる神々しい千年杉があります。大きく、逞しい姿に見とれてしまいます。千年杉の周囲には何本も立派な杉の大木があり、このお寺の長い長い歴史を見守ってきたのだと感心してしまいます。

さらに奥へと進むと立教開宗の旭が森があり、そこには日蓮像が建立されています。房総の豊かな大地と小湊の港、外房の大洋を見渡す景色は壮観です。他にも清澄寺には、日蓮が修行したという練行堂など見どころがたくさんあります。標高310メートルの高地にあり、長く霊場として尊ばれてきただけあって、清く澄んだ場所です。

練行場をすぎてさらに奥へと進むと日蓮立教開宗の旭が森とそれを記念した日蓮像があります。ここが日蓮宗の始まった場所かと、なんとも言えない歴史の逞しさを感じ、日蓮像と日蓮像が見渡す景色に頭を垂れました。

清澄寺を囲む山々は清澄八山といわれ、摩尼山・寶珠山・如意山・露地山・金剛山・鷄莽山・獨鈷山・富士山からなり、蓮華八葉の浄土を表しているということです。古く天台宗時代には山々を巡る回峰修行が行われていたといわれています。

以下、見どころを個別にまとめます。

仁王門

日蓮宗のお寺にお参りする時、密かに楽しみにしているのが、仁王門。どこも朱色が鮮やかです。清澄寺の仁王門は文久3年(1863年)に建てられました。左右には阿吽の金剛力士像が配され、清澄寺を守っています。右の阿像(那羅延金剛)は法の最初を、左の吽像(密迹金剛)は法の究極を表しています。

清澄寺、仁王門。文久3年(1863年)の建物です。

清澄寺、仁王門。文久3年(1863年)の建物です。

大堂(本堂)

摩尼殿といわれる大堂は天和2年(1682年)に建てられた歴史ある建物です。日蓮宗の曼荼羅御本尊が中央にあり、この寺の始まりである虚空蔵菩薩像が安置されています。背後には霊場としての長い歴史を感じさせてくれる大木がいくつも聳えており、自然と心が落ち着き、頭が下がります。

清澄寺、大堂。天和2年(1682年)の建物です。

清澄寺、大堂。天和2年(1682年)の建物です。

清澄寺、大堂。天和2年(1682年)の建物です。

清澄寺、大堂。天和2年(1682年)の建物です。

清澄寺、大堂の彫刻。亨保16年(1731年)頃、嶋村唐四郎の作と推定されています。内容は説明板を引用します。「清澄寺本堂には数多くの彫刻がとり付けられています。懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱鳥」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻には「獅子と象」、そして、東西の破風には、阿吽の「力士像」一対が飾られています。(以下、略)」

清澄寺、大堂の彫刻。亨保16年(1731年)頃、嶋村唐四郎の作と推定されています。内容は説明板を引用します。「清澄寺本堂には数多くの彫刻がとり付けられています。懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱鳥」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻には「獅子と象」、そして、東西の破風には、阿吽の「力士像」一対が飾られています。(以下、略)」

祖師堂

昭和48年(1973年)に落慶しました。祖師堂は、宗派の開祖の像を安置する堂です。宗派により大きさや位置づけが異なりますが、日蓮宗では本堂と並ぶものです。ちなみに、浄土宗では祖師堂が本堂となります。清澄寺祖師堂の正面には徳川家康の側室、お万の方の奉納と伝わる日蓮聖人像が安置されています。

清澄寺、祖師堂。昭和48年(1973年)に落慶しました。

清澄寺、祖師堂。昭和48年(1973年)に落慶しました。

清澄寺、祖師堂。昭和48年(1973年)に落慶しました。

清澄寺、祖師堂。昭和48年(1973年)に落慶しました。

鐘楼

鐘楼堂は平成7年(1995年)12月に完成、梵鐘には明徳3年(1392年)の銘が入っているとあります。

清澄寺、鐘楼と梵鐘。

清澄寺、鐘楼と梵鐘。

観音堂

安房国三十四か所霊場巡礼、第17番札所。建物は明治13年(1880年)に再興されました。十一面観音をお祀りしています。お堂の前には大きな百日紅(サルスベリ)があり、夏にはたいそう綺麗だろうと思います。

清澄寺、観音堂。見事な百日紅(サルスベリ)です。夏はさぞかし鮮やかでしょう。

清澄寺、観音堂。見事な百日紅(サルスベリ)です。夏はさぞかし鮮やかでしょう。

清澄寺、観音堂。安房国三十四か所霊場巡礼、第17番札所。

清澄寺、観音堂。安房国三十四か所霊場巡礼、第17番札所。

報恩殿

観音堂の向かい側に報恩殿あります。清澄寺において日蓮の師であった道善を追善するため、昭和37年(1962年)に建てられました。背後の斜面には躑躅(ツツジ)が植えられ、5月には色とりどりの花を咲かせます。

観音堂の向かい側にある報恩殿。清澄寺において日蓮の師であった道善を追善するために建てられました。躑躅(ツツジ)に囲まれています。

観音堂の向かい側にある報恩殿。清澄寺において日蓮の師であった道善を追善するために建てられました。躑躅(ツツジ)に囲まれています。

千年杉

大正13年(1924年)に国の天然記念物に指定された杉の大木。高さ47メートル、幹周り15メートルの見事な御神木です。樹齢は800年といわれています。元々はもう一本、杉の大木があったそうですが、昭和29年(1954年)に台風により倒れてしまったそうです。

清澄寺の御神木、千年杉。

清澄寺の御神木、千年杉。

清澄寺の御神木、千年杉。

清澄寺の御神木、千年杉。

清澄寺の御神木、千年杉と周囲の大木。

清澄寺の御神木、千年杉と周囲の大木。

練行堂

日蓮が修行をした場所です。綺麗な建物と傍らに修行の際に日蓮が使ったという井戸があります。手書きの説明板がとても心のこもった逞しいものでしたので、これをそのまま引用します。とても凄みのある場所でした。
「此處はその昔、若き日の日蓮聖人が、身心練磨の為修行された聖跡で、古来練行場と云い伝えられております。然るに当寺は徳川時代の初めから真言宗の法脈に属していたため練行場については絶えて顕彰されることがありませんでした。
第十五代日蓮宗管長池上本門寺六十八世貫主久保田日亀大僧正は深くこれを遺憾として、この聖地に法華経のご本尊を奉安することを熱望し、その浄業の達成を本化居士法運小林幸太郎に懇嘱しました。感激した小林法運居士は、明治四十三年七月登山して此の地で三七日間 止暇断眠の苦行を敢行し、自ら謹悳した十界のご本尊を祀り 初志を貫徹したのであります。勿論此間には様々な迫害妨難がありましたが、居士は悉くこれらを克伏して 天晴れ久保田日亀管長の負託に應えた許りでなく後の大正十二年の日蓮聖人旭ヶ森銅像建立の端緒を開き、更には昭和二十四年真言宗を離脱し日蓮聖人正統の宗門に帰属する原因をもなした尊い場所であります。爾来 小林法運居士の信仰を継承する人々が報恩会を結成し昭和五十二年練行堂の大改修をされ、目出度く法運居士の板本尊が奉安され今日に至っております。」

清澄寺、練行場。日蓮が修行したと伝わる場所です。

清澄寺、練行場。日蓮が修行したと伝わる場所です。

清澄寺、練行場。

清澄寺、練行場。

清澄寺、練行場。

清澄寺、練行場。

清澄寺、練行場にある練行の井戸。

清澄寺、練行場にある練行の井戸。

旭が森と日蓮聖人銅像

千年杉を見たら森の方へと入っていくと右手に練行堂、それを過ぎて少しいくと、旭が森と日蓮聖人銅像があります。建長5年(1253年)4月28日早朝、日蓮が昇る朝日とともに悟りを開き「南無妙法蓮華経」と題目を唱えた、歴史的な場所です。大正12年(1923年)渡邉長男氏の力作による立派な銅像は朝日に向かって建っています。

清澄寺、旭が森。

清澄寺、旭が森。

清澄寺、旭が森にあるお堂。

清澄寺、旭が森にあるお堂。

清澄寺、旭が森の日蓮像。日蓮は、ここで外房に昇る朝日とともに悟りを開き、立教開宗しました。今日もその朝日は変わりません。

清澄寺、旭が森の日蓮像。日蓮は、ここで外房に昇る朝日とともに悟りを開き、立教開宗しました。今日もその朝日は変わりません。

清澄寺、旭が森の日蓮像。

清澄寺、旭が森の日蓮像。

清澄寺、旭が森の日蓮像が仰ぐ景色。

清澄寺、旭が森の日蓮像が仰ぐ景色。

仏舎利塔

旭が森、日蓮銅像のさらに奥には仏舎利塔があります。大堂や祖師堂、仁王門など自然と一体化した魅力とは対照的に、白く、丸く、大きな仏舎利塔は異能の存在感が際立ちます。

清澄寺、仏舎利塔。

清澄寺、仏舎利塔。

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