〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道②〜前日「高知市内史跡巡り」

目 次

〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道②
前日「高知市内史跡巡り」

龍馬の育ったまちを歩く

文・写真 石塚登喜衛

本編の「坂本龍馬脱藩の道 徒歩独行取材」は明日から。この日は、高知市内の関連史跡を巡り、高知の町を肌で感じる一日としました。

目 次

まえがき/旅支度
前 日「高知市内史跡巡り」
初 日「坂本龍馬生誕地〜佐川」
二日目「佐川〜朽木峠〜梼原」
三日目「梼原〜韮ヶ峠〜男水自然公園」
四日目「榎ヶ峠〜泉ヶ峠」
五日目「泉ヶ峠〜旧宿間村〜長浜港」

年月日平成25年(2013年)10月27日(日)
行 程高知龍馬空港、河田小龍生誕地、中山高陽生誕地、後藤象二郎生誕地、板垣退助生誕地、鏡川(天神橋)、旧山内家下屋敷長屋、山内神社、坂本龍馬生誕地、龍馬の生まれたまち記念館、日根野道場跡、近藤長次郎邸跡、才谷屋(龍馬の本家)跡、高知城、武市瑞山殉節之地、吉田東洋記念之地、高知駅前龍馬像、高知県立坂本龍馬記念館、浦戸浜と夕陽
移動距離
歩 数14,180歩

日根野道場があった場所。

日根野道場があった場所。

〒781-0262 高知県高知市浦戸 県立坂本龍馬記念館

〒780-0061 高知県高知市栄田町2丁目1 高知駅

〒780-0842 高知県高知市追手筋2丁目1−12

〒780ー0841 高知県高知市帯屋町2丁目5 武市瑞山先生殉節之地

〒780-0850 高知県高知市丸ノ内1丁目2−1

〒780-0901 高知県高知市上町3丁目7−4 コーヒーハウスさいたにや

〒780-0901 高知県高知市上町2丁目6−33 市立龍馬の生まれたまち記念館

〒780-0901 高知県高知市上町1丁目7−34

〒780-0862 高知県高知市鷹匠町2丁目4−65 山内神社

〒780-0862 高知県高知市鷹匠町1丁目3 高知市旧山内家下屋敷長屋展示館

〒780-0870 高知県高知市本町2丁目3−18 板垣退助先生誕生の地

〒780-0863 高知県高知市与力町5 後藤象二郎先生誕生之地

〒780-0833 高知県高知市南はりまや町2丁目1−34

〒783-0096 高知県南国市久枝乙58 高知龍馬空港


※この日巡った史跡等の地図。

グーグル・マップのポイントつき地図は一時的に掲載を見送っています。グーグルから、ポイント数が多すぎると指摘を受けたためです。他の対処法を考えております。少々お待ち下さい。

高知龍馬空港

到着時刻:9時10分
10月27日(日)、羽田発午前7時40分、高知龍馬空港9時10分着のJAL1483便に乗り高知入り。高知龍馬空港の名にふさわしく空港ロビーには立派な龍馬像がありました。外に出て南国土佐の空気を吸い、一服つけると、これから臨む旅への不安と期待が入り混じります。

前週に猛威を振るった台風は幸運なことに過ぎ去り、旅中は概ね晴の予報となっていました。この日は台風一過の清々しい天候。高知らしい暖かさを感じ、携帯用気温計を見ると22度でした。

いよいよ「鎌倉」を終わらせた男、坂本龍馬をめぐる旅の始まりを実感します。この日は、いくつかの史跡を巡り最後は桂浜背後の山にある龍馬記念館から浦戸浜と沈む夕陽をみる算段です。

9:25分発、高知市内行きのとさでん交通バスに乗り込み、約30分後「はりまや橋」バス停で下車。近くにある河田小龍生誕地/墨雲洞跡に向かいます。

予定通り9時10分、高知龍馬空港に到着しました。高知は快晴。

予定通り9時10分、高知龍馬空港に到着しました。高知は快晴。

高知龍馬空港ロビーにある坂本龍馬像。

高知龍馬空港ロビーにある坂本龍馬像。

高知龍馬空港から、とさでん交通、高知市内行き9時25分発のバスに乗り込みます。

高知龍馬空港から、とさでん交通、高知市内行き9時25分発のバスに乗り込みます。

約30分で「はりまや橋」バス停に到着。きれいな塗装の路面電車が走っています。

約30分で「はりまや橋」バス停に到着。きれいな塗装の路面電車が走っています。

河田小龍生誕地/墨雲洞跡

到着時刻:10時
住所:高知市南はりまや町2-1-34(はりまや橋観光バスターミナル沿い)
はりまや橋バス停のすぐ近くに河田小龍(1824-1898)生誕地はあります。河田小龍は、江戸末期〜明治にかけて活躍した絵師。儒学や蘭学も学んだ博学の人物です。1852年(嘉永5年)ジョン万次郎の取り調べを行ない、ここから得た西洋の事情を『漂巽紀略』にまとめ、龍馬や多くの志士たちに影響を与えました。後に墨雲洞という塾を開き、門下には長岡謙吉、近藤長次郎などがいました。

10時、河田小龍生誕地/墨雲洞跡に到着。

10時、河田小龍生誕地/墨雲洞跡に到着。

10時、河田小龍生誕地/墨雲洞跡に到着。

10時、河田小龍生誕地/墨雲洞跡に到着。

道には龍馬シルエットの道標がありました。

道には龍馬シルエットの道標がありました。

中山高陽生誕地

到着時刻:10時7分
住所:高知市堺町2-26
中山高陽(1717-1780)は江戸時代中期の画家、書家、漢詩人。土佐国堺町の「阿波屋」という商家に生まれました。日本文人画の先駆け的存在であり、土佐藩の御用絵師。江戸に出てからは江戸を代表する人気画家となりました。龍馬とは時代が違いますが、土佐出身の著名人です。次の目的地に向かいながら気温計をみると10時11分、22度を指しています。

中山高陽生誕地。

中山高陽生誕地。

高知市街の道には、「高知城下町名今昔」の立札があります。町の歴史を知る、よい材料です。

高知市街の道には、「高知城下町名今昔」の立札があります。町の歴史を知る、よい材料です。

高知の街並み。近藤象二郎生誕地を目指します。

高知の街並み。近藤象二郎生誕地を目指します。

後藤象二郎生誕地

到着時刻:10時20分
住所:高知市与力町5-18
大通りから少し入った教会の門前に後藤象二郎生誕地の石碑があります。後藤象二郎(1838-1897)は、土佐上士の家に生まれ、正二位勲一等伯爵となりました。板垣退助、佐々木高行とともに土佐三伯といわれる人物。最初は龍馬と敵対するも、後に仲間となり船中八策による進言を前藩主山内容堂に行ないました。龍馬の脱藩が赦されるよう働きかけたといわれています。明治政府では逓信大臣、農商務大臣などを歴任しました。

後藤象二郎生誕地。10時20分到着。

後藤象二郎生誕地。10時20分到着。

後藤象二郎生誕地。10時20分到着。

後藤象二郎生誕地。10時20分到着。

板垣退助生誕地

到着時刻:10時27分
住所:高知市本町2-3
高野寺というお寺の塀沿いに、板垣退助生誕地の石碑があります。板垣退助(1837-1919)は、自由民権運動の草分けとしてとても有名です。従一位勲一等伯爵となり、後藤象二郎、佐々木高行とともに土佐三伯といわれます。土佐藩上士、乾家の嫡男として生まれました。乾家は、武田信玄の重臣であり武田四天王の一人である板垣信方を祖とした家柄であるそうです。これは初めて知りました。武田家は源頼義の子、新羅三郎義光の子孫ですから、頼義の直系である源頼朝とは遠い遠い親戚にあたります。源頼朝が創った「鎌倉」の片鱗は様々なところでみることができます。

板垣退助生誕地。10時27分到着。

板垣退助生誕地。10時27分到着。

板垣退助生誕地。10時27分到着。立派な石碑です。

板垣退助生誕地。10時27分到着。立派な石碑です。

鏡川

到着時刻:10時37分
板垣退助生誕地を跡にしたら鏡川を拝むため、天神橋へ。欄干が朱色に塗られた大きな橋です。台風が過ぎ去ったばかりのため少し濁っていましたが、雄大な雰囲気。龍馬が日頃から慣れ親しみ、水練に励んだ川です。鏡川、という名前にもひかれます。川の両岸があまり埋め立てられておらず、自然に近いため、美しい景色をつくっています。

美しい橋がみえてきました。鏡川にかかる天神橋です。「鏡川」「天神橋」どちらもいい名前です。

美しい橋がみえてきました。鏡川にかかる天神橋です。「鏡川」「天神橋」どちらもいい名前です。

天神橋と鏡川。

天神橋と鏡川。

鏡川。前週の台風により水量はたっぷり。

鏡川。前週の台風により水量はたっぷり。

龍馬が水練に励んだ鏡川。

龍馬が水練に励んだ鏡川。

旧山内家下屋敷長屋

到着時刻:10時52分
住所:高知市鷹匠町1-3-35
鏡川沿いを気分よく歩くと、山内神社にいきあたります。道の反対側に旧山内家下屋敷長屋があり、まずはそこから見物です。一見して歴史ある建物であることがわかります。16代藩主 山内豊範(とよのり)の時代、慶応元年(1665年)に建てられました。国指定重要文化財(建造物)となっている貴重な建物でありながら、無料で中に入ることができ、往時を体感することができます。生活用具なども展示されており、興味深く見ることができました。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」。見どころ多い施設でした。周囲の近代建築を圧倒する美しさ。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」。見どころ多い施設でした。周囲の近代建築を圧倒する美しさ。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」門前の立札。雰囲気があわせてあり、いい感じです。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」門前の立札。雰囲気があわせてあり、いい感じです。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。往時の生活が偲ばれます。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。往時の生活が偲ばれます。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。

国指定重要文化財「旧山内家下屋敷長屋」内。

山内神社

到着時刻:11時3分
住所:高知市鷹匠町2-4-65
旧山内家下屋敷長屋の後は向かい側にある山内神社。鳥居をくぐると、川沿いに樹々が囲む美しい参道があります。ちょうどこの時、結婚式が行われており、こんな良い場所で天気も良く、御両家にとってさぞ天晴な日であったろうと思います。
山内神社は、土佐藩初代藩主、山内一豊とその夫人、そして歴代藩主を祀っています。元々は文化3年(1806年)高知城内に藤並神社として始まり、明治4年(1871年)土佐藩最後の16代藩主であり、明治維新後は初代知藩事を務めた豊範が現在の地に創建しました。幕末の藩主、容堂の坐像も建立されています。

山内神社。

山内神社。

山内神社。

山内神社。

山内神社。

山内神社。

山内神社内にある山内容堂像。

山内神社内にある山内容堂像。

山内神社。

山内神社。

山内神社を後にし、坂本龍馬生誕地へ向かいます。道にはこれまた洒落た道標。

山内神社を後にし、坂本龍馬生誕地へ向かいます。道にはこれまた洒落た道標。

坂本龍馬生誕地

到着時刻:11時37分
住所:高知市上町1-7-34
山内神社の鳥居を出ると、道に綺麗な標識があり「坂本龍馬生誕地」の文字がありました。これに従い大通りに戻って左折、しばらく歩くと、上町一丁目交差点の手前、大通り沿いに坂本龍馬生誕地があります。ビルの並ぶ大通り沿いの一角に、立派な石碑があります。龍馬は、文久2年(1862年)3月24日(新暦4月22日)夕方、自宅からふらっと出かけ、そのまま脱藩しました。明日から始まる脱藩の道本編の出発地となります。

11時37分、坂本龍馬生誕地が見えてきます。大通り沿いにあります。

11時37分、坂本龍馬生誕地が見えてきます。大通り沿いにあります。

11時37分、坂本龍馬生誕地が見えてきます。大通り沿いにあります。

11時37分、坂本龍馬生誕地が見えてきます。大通り沿いにあります。

11時37分、坂本龍馬生誕地。

11時37分、坂本龍馬生誕地。

11時37分、坂本龍馬生誕地、石碑の反対側には詳しい案内図があります。

11時37分、坂本龍馬生誕地、石碑の反対側には詳しい案内図があります。

この立札もよい雰囲気です。土佐藩お抱えの刀工、左行秀(さのゆきかず)のことが書かれています。龍馬の刀剣趣味にも強く影響を及ぼした、とのこと。

この立札もよい雰囲気です。土佐藩お抱えの刀工、左行秀(さのゆきかず)のことが書かれています。龍馬の刀剣趣味にも強く影響を及ぼした、とのこと。

龍馬の生まれたまち記念館

到着時刻:11時47分
住所:高知市上町2-6-33
次はすぐ近くにある「龍馬の生まれたまち記念館」へ。龍馬の生まれた上町の家や街の様子などが体験できるようにつくられた施設です。幕末の高知を知ることができます。龍馬や関連資料の展示をゆったりみられるよい施設でした。

龍馬の生まれたまち記念館に到着。時刻は11時47分。

龍馬の生まれたまち記念館に到着。時刻は11時47分。

龍馬の生まれたまち記念館。

龍馬の生まれたまち記念館。

龍馬の生まれたまち記念館。

龍馬の生まれたまち記念館。

龍馬の生まれたまち記念館。その名のとおり、当時の町を理解できる展示が充実しています。写真は当時の出土品。

龍馬の生まれたまち記念館。その名のとおり、当時の町を理解できる展示が充実しています。写真は当時の出土品。

龍馬の生まれたまち記念館。龍馬の家が再現されていました。すっと、上がりたくなります。

龍馬の生まれたまち記念館。龍馬の家が再現されていました。すっと、上がりたくなります。

龍馬の生まれたまち記念館。龍馬の家が再現されていました。

龍馬の生まれたまち記念館。龍馬の家が再現されていました。

龍馬の生まれたまち記念館。関連書籍などが閲覧できます。

龍馬の生まれたまち記念館。関連書籍などが閲覧できます。

龍馬の生まれたまち記念館。2階には多くの模型。当時の街並みが再現されています。

龍馬の生まれたまち記念館。2階には多くの模型。当時の街並みが再現されています。

龍馬の生まれたまち記念館。龍馬の写真と同じ格好の像があります。

龍馬の生まれたまち記念館。龍馬の写真と同じ格好の像があります。

日根野道場跡

到着時刻:12時25分
住所:高知市上町2-13
龍馬の生まれたまち記念館から2〜3分、鏡川沿いに出ると、美しい石垣が続く道に出ます。元々竹やぶであったところを、宝永元年(1704年)、町民が藩の許可を得て堤防を構築、高い石垣の続く町を造ったそうです。写真のあたりには龍馬が14歳〜19歳まで武術全般、水泳などを学んだ日根野弁治吉善の道場がありました。龍馬は19歳の時、小栗流和兵法事目録を伝授され、修行のため江戸へと向かいました。

日根野道場の標柱。

日根野道場の標柱。

水丁場の標柱、説明板。「江戸時代、鏡川流域の洪水被害を防ぐために設けられた受け持ち区域(丁場)の境界を示す標柱」とのこと。

水丁場の標柱、説明板。「江戸時代、鏡川流域の洪水被害を防ぐために設けられた受け持ち区域(丁場)の境界を示す標柱」とのこと。

日根野道場があった場所。

日根野道場があった場所。

標識には案内板「水練の龍馬」が。「少年期の龍馬にとって鏡川はかっこうの遊び場であった。姉の乙女にきびしく泳法を教わった話、「どうせ濡れるので平気」と雨の日も泳いでいたなどの逸話が残っている」。

標識には案内板「水練の龍馬」が。「少年期の龍馬にとって鏡川はかっこうの遊び場であった。姉の乙女にきびしく泳法を教わった話、「どうせ濡れるので平気」と雨の日も泳いでいたなどの逸話が残っている」。

近藤長次郎邸跡

到着時刻:12時43分
住所:高知市上町2-8-20
近藤長次郎(1838-1866)は、商人の家に生まれますが、聡明な少年であったことから河田小龍らに学び、苗字帯刀を許されます。
龍馬との関係は深く、海援隊の前進である亀山社中を共に立ち上げるなどしています。しかし、同社中における龍馬不在中のいざこざにより切腹しています。「近藤長次郎邸跡」の石碑は大通りにひっそりと建てられ、静かで控え目な石碑に大きな歴史を想像する楽しみを味わいました。次はすぐ北側にある坂本家の本家である才谷屋跡へと向かいます。

近藤長次郎邸跡。12時43分到着。

近藤長次郎邸跡。12時43分到着。

近藤長次郎邸跡。12時43分到着。

近藤長次郎邸跡。12時43分到着。

才谷屋跡

到着時刻:12時45分
住所:高知市上町3-6-1
坂本家の本家である才谷屋は、寛文6年(1666年)に質屋として始まり城下屈指の豪商となりました。初代が長岡郡才谷村出身であったことから名がついたそうです。跡地は現在同名の喫茶店となっていると聞き、そこで昼食と休憩をと思っていましたが、残念ながら、平成25年(2015年)5月17日をもって閉店となっていました。

才谷屋跡。12時45分到着。

才谷屋跡。12時45分到着。

才谷屋跡。現在は喫茶「さいたにや」のはずでしたが。。

才谷屋跡。現在は喫茶「さいたにや」のはずでしたが。。

才谷屋跡。

才谷屋跡。

才谷屋跡にあった喫茶「さいたにや」は平成25年(2015年)5月17日をもって閉店していました。

才谷屋跡にあった喫茶「さいたにや」は平成25年(2015年)5月17日をもって閉店していました。

南国土佐の青い空。この日は、最高の天気でした。気温は27度。

南国土佐の青い空。この日は、最高の天気でした。気温は27度。

才谷屋跡から高知城へと向かう途中、婦人参政権誕生の地の石碑がありました。

才谷屋跡から高知城へと向かう途中、婦人参政権誕生の地の石碑がありました。

高知城

到着時刻:1時10分
住所:高知市丸ノ内1-2-1
高知城は、江戸時代となり初代藩主として土佐に入国した山内一豊が築城したかつての国宝(現 重要文化財)。一帯は高知公園として開放されており、登ることのできる天守閣からは、土佐の山並み街並みを一望できます。快晴のこの日、南国土佐の青い空に天守閣の雄々しい姿が美しく映えていました。現在の天守は寛延2年(1749年)に再建されたものです。天守閣から遠くにこれから越えていく山々をみて、気合を入れ直します。天守を降りたら、城内をゆったり見物して、休憩もとりました。

1時10分、高知城に到着。見事なお城です。

1時10分、高知城に到着。見事なお城です。

高知城。

高知城。

高知城。

高知城。

高知城の天守閣。中に入って登ることが出来ます。

高知城の天守閣。中に入って登ることが出来ます。

高知城の天守閣から望む高知の街。これから越えていく山々をみます。

高知城の天守閣から望む高知の街。これから越えていく山々をみます。

高知城。

高知城。

高知城天守閣内の模型展示。

高知城天守閣内の模型展示。

高知城の石垣。

高知城の石垣。

武市瑞山殉節之地

到着時刻:2時13分
住所:高知市丸ノ内1-2-1
土佐郷士、武市瑞山(1829-1865)は、幕末土佐の一世を風靡した土佐勤王党の盟主。武市半平太といった方が馴染みがあります。吉田東洋を暗殺(本人は否定)し藩政を掌握、藩を尊皇攘夷にむかわせ、運動の先頭に立ちますが、公武合体派による京都からの尊王攘夷派追放(八月十八日の政変)による藩論の変化により、投獄され切腹しました。坂本龍馬も土佐勤王党に結成に参加しています。
武市瑞山殉節之地の石碑は四国銀行帯屋町支店の通り沿いに建てられています。喫茶才谷屋閉店を知らなかったという準備不足のため、昼を食べそびれていました。かなり空腹でしたが、予定している市街の見物地は「吉田東洋記念の地」「高知駅前の龍馬像」のふたつを残すのみでしたから、先にこれを終わらせ、一杯やって一服つけながらゆっくり食事しようと決め、先を急ぎます。

この日は日曜日。300余年の歴史を持つ土佐の日曜市が開催されていました。

この日は日曜日。300余年の歴史を持つ土佐の日曜市が開催されていました。

武市瑞山殉節之地。到着時刻は2時13分。

武市瑞山殉節之地。到着時刻は2時13分。

武市瑞山殉節之地。

武市瑞山殉節之地。

帯屋町にあった道標。

帯屋町にあった道標。

吉田東洋記念之地

到着時刻:2時18分
住所:高知市追手筋2-1
吉田東洋暗殺之地の石碑は新図書館等複合施設建設工事のため残念ながら見ることができませんでした。しかし、この地で吉田東洋が暗殺されたことに変わりはありません。繁華街の近くにあり賑やかな場所です。吉田東洋は、山内容堂の信任厚い参政として安政改革を推進した公武合体派の有力者です。文武館を建て、『海南政典』を編纂するなど功績ある人物でしたが、尊王攘夷の先頭に立つ武市瑞山による土佐勤皇党の刺客にこの地で暗殺されたといわれています。
文久2年(1862年)4月8日、亥の刻(午後10時頃)、雨が降る中、帰途についていた吉田東洋(1816-1862)はこの場所で暗殺されたといいます。記念之地、という曖昧な表現は暗殺という言葉を避けたのですね。しかし、本来は無用な齟齬こそ避けた方がよいようにも思えます。

吉田東洋記念之地。

吉田東洋記念之地。

吉田東洋記念之地。

吉田東洋記念之地。

高知駅前龍馬像

到着時刻:2時33分
住所:高知市栄田町
繁華街の帯屋町を見物しながらのんびり歩き、高知駅前に到着。いま思えばまだまだこの辺りは余裕がありました。後の必死な姿を思えば呑気なものです。
像は目立つ場所にあり、中央に坂本龍馬、右に中岡慎太郎、左に武市半平太が並んでいます。坂本龍馬、中岡慎太郎は近江屋事件で命を落とし、武市半平太は投獄の上殺害されました。幕末日本、渦中のド真ん中で活躍した先達三人の像に頭を垂れました。
時刻は午後2時半を過ぎており、空腹が辛くなってきました。高知駅の立派な駅舎を眺めていると、1階部分にランチをやっている居酒屋がありました。店頭の品書きをみると、高知らしいものが結構あります。
ここならビールも飲めるし、タバコも吸える、何より気取らなくて落ち着くと即決して入店。ずしりと思い荷物を降ろして、飲んだビールの美味しかったこと。食事もして、しばらくここでゆっくりします。
食事をおえたら、駅前のホームセンター、コーナンへ。携帯用座布団や帽子など必要な備品を購入しました。お店の方に「高知はやっぱり暖かいですね。今日は天気がいいから特別気温が高いのでしょうか?」と伺うと、「だいたいこんなものですよ」とのことでした。次は、バスに乗り今日最後の取材地、坂本龍馬記念館とそこから見る夕陽です。

高知駅前龍馬像。

高知駅前龍馬像。

高知駅。

高知駅。

浦戸城跡、高浜虚子句碑

到着時刻:4時
住所:高知市浦戸城山830及び付近
バスを降りて、高知県立坂本龍馬記念館にむかう途中、浦戸城跡の石碑、高浜虚子句碑をみることができました。浦戸城は戦国四国の雄、長宗我部氏、最後の居城であり、初代土佐藩主山内一豊も高知城に移るまで居城として使用しました。西を除く三方を海に囲まれた要害の城として知られ、現在坂本龍馬記念館となっているあたりが本丸でした。目前の浦戸港は紀貫之の『土佐日記』に登場するように古来から水運の拠点として栄えていたそうです。
近くに、高浜虚子の句碑をみつけました。句は「海底に 珊瑚花咲く 鯊を釣る」です。虚子は隣県である愛媛県松山市の出身、鎌倉に長く住んだことでも知られています。昭和24年(1949年)10月に高知市において開催された『龍巻』の二百号記念大会に海路来遊した、と説明板に記されていました。その頃、虚子は鎌倉に居住していましたから、鎌倉からはるばる訪れたのでしょう。

浦戸城跡の石碑。

浦戸城跡の石碑。

高浜虚子句碑。

高浜虚子句碑。

高知県立坂本龍馬記念館

到着時刻:4時15分
住所:高知市浦戸城山830
龍馬の手紙や海援隊規約などの資料、近江屋や坂本家居間の復元など充実した内容の記念館です。浦戸城山にあり、眼下に浦戸の美しい海を展望できる素晴らしいロケーションも魅力です。

高知県立坂本龍馬記念館

高知県立坂本龍馬記念館

高知県立坂本龍馬記念館

高知県立坂本龍馬記念館

浦戸浜と夕陽

到着時刻:5時
住所:高知市浦戸城山830(高知県立坂本龍馬記念館の前庭)
高知県立坂本龍馬記念館の周辺、できるだけ海に近い山の突端に座り、夕陽を待ちます。
方角的にはかなり右の方に沈むと思われます。夕陽の時刻が近づくと数人の方々が訪れてきました。夕陽のスポットとして知られた場所の一つなのだと思います。
予想どおり、浦戸の海を照らしながら、右の山に日が沈んでいきます。ずっしりと疲れた身体が癒やされるような美しさでした。

浦戸浜と夕陽。

浦戸浜と夕陽。

浦戸浜と夕陽。

浦戸浜と夕陽。

ここまでで前日はおしまい。明日からはいよいよ「脱藩の道 本編」です。桂浜から朝日を拝み、出発する予定です。正式な出発地は「坂本龍馬生誕地」に変わりありませんが、夜明け前に桂浜入りして、個人的な旅としては桂浜の朝日から始めようと決めていました。

〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道〜③初日「坂本龍馬生誕地〜佐川」に続く