〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道①〜「まえがき/旅支度」

目 次

〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道①
「まえがき/旅支度」

四国縦断、龍馬の駆け抜けた脱藩の道

文・写真 石塚登喜衛

坂本龍馬といえば明治維新の立役者。本誌の主題である源頼朝の創った「鎌倉」を終わらせた人物ともいえます。「坂本龍馬 脱藩の道」は、土佐郷士・坂本龍馬が勤王の志士として活躍すべく土佐藩を脱藩した時に駆け抜けた出発点ともいえる道。高知市街から四国を縦断し愛媛の伊予長浜に至り、距離は約170kmです。本記事はこの道を龍馬と同じように歩いて取材した記録です。至らない部分はあるかと思いますが、これから歩かれる方のことを考えて書きました。お役に立てば幸いです。

目 次

まえがき/旅支度
前 日「高知市内史跡巡り」
初 日「坂本龍馬生誕地〜佐川」
二日目「佐川〜朽木峠〜梼原」
三日目「梼原〜韮ヶ峠〜男水自然公園」
四日目「榎ヶ峠〜泉ヶ峠」
五日目「泉ヶ峠〜旧宿間村〜長浜港」

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グーグル・マップのポイントつき地図は一時的に掲載を見送っています。グーグルから、ポイント数が多すぎると指摘を受けたためです。他の対処法を考えております。少々お待ち下さい。

まえがき

坂本龍馬脱藩の道、徒歩独行取材。行程は高知市内の龍馬生誕地から、瀬戸内海に面する愛媛県大洲市の長浜港に至る約170km。龍馬が舟に乗った旧宿間村(亀の甲)までの約120kmは踏破を目指します。

台風一過の快晴となった高知は最高気温26度、最低気温11度(全行程中における行動中の気温。携帯用気温計にて現地実測)。軽量化に苦心した12㎏の取材・撮影道具、脚の痛み、2度の崖崩れとも戦った約15万歩の脱藩の道独行記録です。

日程は2013年(平成25年)10月27日(日)~11月1日(金)までの6日間。初日(27日)は、高知市内の龍馬及び維新関連の史跡や施設を巡り、11月1日は基本移動日とし午前中を予備時間にあてました。

当時土佐国最大の難所といわれた朽木峠(標高554m)、土佐と伊予の国境にある韮ヶ峠(970m)を始め大小10以上の峠を越えます。多くは自動車も通行できる舗装道路ですが、峠付近は徒歩のみ通行可能な山道が続きます。

初日の中程にある日下橋付近からは「脱藩の道」の道標が山中も含め要所要所にたてられており、これに従えば最後の旧宿間村(亀の甲)まで辿り着きます。ごく稀に倒れたり外されているなどのアクシデントもあります(筆者の場合は3回)。

注意点

原稿は2013年(平成25年)11月現在のものです。また、取材撮影用機材を携行するため12kgの荷物を背負っており、かつ一人で取材や1,300カット以上の撮影などを行っています。三日目以降は左膝の負傷もあり、普通に歩かれる方々と経過時間などで齟齬が生じると思われます。その分は考慮してご覧くださるようお願いいたします。

旅支度

全体の行動計画

基本となる資料は、坂本龍馬 脱藩の道を解き明かした村上恒夫氏の『坂本龍馬 脱藩の道を探る』(新人物往来社)とし、これに各種媒体・資料、地方自治体、現地の宿泊施設などからの情報を加えて道順を確定、行程を定めていきました。

坂本龍馬は、文久2年(1862年)3月24日(新暦4月22日)夕方、着の身着のまま現在の高知市上町にあった自宅を出発、そのまま脱藩。その晩は山中にて過ごし、翌25日梼原村(ゆすはらむら/現 梼原町)に到着、勤王の士であった那須俊平・信吾父子の家に泊まります。

26日、俊平・信吾父子の道案内を受け国境の韮ヶ峠を越え、伊予国(愛媛県)に脱藩。その晩は泉ヶ峠にあった宿に泊まります。翌27日、泉ヶ峠の少し先にある旧宿間村(亀の甲)まで歩き、そこから長浜町まで川舟に乗り、同地の冨屋金兵衛邸に宿泊。翌日、長州(山口県)下関にむけて出航し、上関(山口県上関町)、三田尻(同防府市)を経て下関へと至りました。

これに従い、高知市上町1丁目、高知市上町1丁目病院前にある坂本龍馬生誕地を出発地点とし、愛媛県大洲市にある長浜港を最終目的地とする脱藩の道本編を5日間の行程と定め、これに高知市内に点在する龍馬及び維新関連の史跡巡りに1日、全体を6日間の計画としました。

龍馬が歩いた龍馬生誕地〜旧宿間村(亀の甲)は同じように徒歩とします。ただし、残念なことに仕事の都合によりこれ以上日程がとれず、二日目の葉山〜梼原はバスを利用することとしました。問題は、龍馬が川舟に乗った旧宿間村(亀の甲)〜伊予長浜まででした。いくつか問い合わせてみましたが、乗せてくれる舟はみつからず、レンタカーを使用することとしました。

次に具体的な日時です。本当は龍馬と同じ4月22日に出発したかったのですが、仕事の都合によりこの年の9月初旬から11月初旬までにいかなければならず、これは諦めました。そして暑さ寒さを避け、さらに高所で秋らしい雰囲気も感じられればと考え以下のように設定しました。

〈前 日・10月27日〉高知入り。高知市内史跡めぐり。高知市内泊
〈初 日・10月28日〉坂本龍馬生誕地〜佐川(約35km)。高知市内泊
〈二日目・10月29日〉佐川〜朽木峠〜梼原(約46km)。都合により葉山〜梼原はバス利用。梼原の関連史跡めぐり。梼原泊
〈三日目・10月30日〉梼原〜韮ヶ峠〜男水自然公園(約36km)。脱藩之日記念館、飛翔の像等取材。ふるさとの宿(河辺)泊
〈四日目・10月31日〉榎ヶ峠〜旧宿間村(約22km)。大洲泊
〈五日目・11月1日〉旧宿間村〜長浜港(約24km)。大洲城、臥龍山荘など取材。レンタカー利用。大洲泊

服装・携行品

日程が決まったところで気温、道の状況、標高を考慮しながら、服装や携行品の支度にかかります。

高知市における10月の平均気温は20度前後、11月は14度前後、日程中の日の出は午前6時20分頃、日の入りは午後5時15分頃。山中での夜を避けるため特に日の入り時刻は大切です。道の状況は9割方が舗装道路、残りは山道であり、最高地点は高知・愛媛の県境に近いアオザレ、韮ヶ峠付近の標高約1,000m。

平地や日中は南国らしい暑さ、高所や朝晩は冷え込むと予想されたため、半袖と長袖のスポーツ用Tシャツ(化学繊維のもの)、フリースジャケット、トレッキング用ズボン・靴、コンパス、気温計、フラッシュライト、歩数計、雨具、携帯用座布団、撮影機材、ipad、資料などを大型のカメラバッグに詰め込んだところ、重量は16kgにもなってしまいました。

趣味として運動(テニス)はしていましたが、それも所詮は週末のこと。40歳の衰えつつある身体では、16kgの荷物を背負い取材・撮影しながら10以上の峠を超えて約120kmを歩き通すことは不可能と判断しました。独行取材ですから、山中で脚でも滑らせ動けなくなると、周囲に多大な迷惑をかけることになります。

そこで、重量のほとんどを占めている撮影機材を減らすこととしました。写真は必要な複写機ですが、見聞し、感じ、考えるという取材の根本をあまり阻害するようでは本末転倒です。撮影機材をメインに他にも荷物を減らし12kgまで減量しました。

旅を終えて考えると、次にいくならフルサイズ一眼レフは持って行きません。過大な重量と煩雑なレンズ交換は取材と旅を阻害します。実際、過重により膝を痛めてしまいました。いい旅をするなら、なるべくセンサーサイズが大きく、印刷物でも十分に対応できるコンパクトカメラを選びます。キャノンのG1XやG3Xなどが候補にあがるのではないでしょうか。

「坂本龍馬脱藩の宿」営業休止に伴う宿泊事情

この項目は、実際に歩いてみて感じたことです。
私は、梼原中心街史跡取材のため、葉山〜梼原間はバスを利用しましたが、ここも全踏破を目指す場合、相当な健脚の持ち主以外はこの記事でいうと三日目の「佐川〜朽木峠〜梼原」の行程約46kmを葉山町宿泊で区切るのが安全です。葉山町から標高400m以上ある梼原の中心部までは急な登りが続きます。すでに標高554mの朽木峠を越えており、翌日は梼原の町から標高970mの韮ヶ峠越えが控えています。朽木峠に近い宿泊施設としては町役場近くの農村体験実習館「葉山の郷」などがあります。梼原には、多くの維新の士を生み出し数多くの関連史跡があり、近くには日本三大カルストの一つ、四国カルストもあります。葉山で一泊すればそれらを巡る余裕もできます。

さらに梼原の宿泊先にも注意が必要です。これまでは、梼原中心部に宿泊し早朝に出て榎ヶ峠手前の「坂本龍馬脱藩の宿」に夕方着くという案内がよく見られました。しかし同宿は現在営業休止となっており韮ヶ峠を越えた最寄の宿は脱藩の道御幸の橋から4㎞ほど県道を下った愛媛県河辺町の「ふるさとの宿」です。韮ヶ峠前後は険しい山道が全行程中最も長く続くうえに、梼原の中心部からふるさとの宿までは約41㎞あります。

昔の旅人でも移動距離は一日八里(約32km)といいます。山道での日没を避けるためこの41kmは可能な限り短くしておきたいところです。そのため、葉山に宿泊したら翌日は韮ヶ峠に近い宿を選びましょう。脱藩の道沿いにある韮ヶ峠最寄の宿、茶や谷の「百姓 とまり木 かまや」の場合、梼原の中心部から約12km韮ヶ峠に近くなり、翌日のふるさとの宿までの行程を29kmと安全な距離にすることができます。「ふるさとの宿」は脱藩の道から4kmほど外れますから、そこはタクシーという手もありますが、いずれにしてもなるべく安全な距離設定が無難です。

「ふるさとの宿」は脱藩之日記念館、飛翔の像、才谷屋を再現した離れもあり、隣を流れる秋知川の清流、近くの屋根付橋もゆっくり眺めたいところですから、少し早めにつけばより旅が充実すると思います。

〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道〜②前日「高知市内史跡巡り」に続く。