〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道③〜初日「坂本龍馬生誕地〜佐川」
目 次
〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道③
初日「坂本龍馬生誕地〜佐川」
35kmを歩く初日。雄大な仁淀川に瘉される
文・写真 石塚登喜衛
脱藩の道、本編の初日です。まずは桂浜の朝日を拝み、龍馬生誕地へ移動し、同地からいよいよ脱藩の道取材スタート。35km先の佐川を目指します。
目 次
まえがき/旅支度
前 日「高知市内史跡巡り」
初 日「坂本龍馬生誕地〜佐川」
二日目「佐川〜朽木峠〜梼原」
三日目「梼原〜韮ヶ峠〜男水自然公園」
四日目「榎ヶ峠〜旧宿間村」
五日目「旧宿間村〜長浜港」
年月日平成25年(2013年)10月28日(月)
行 程龍馬生誕地〜佐川駅
通過点龍馬生誕地(午前7時30分)、和霊神社(9時25分)、仁淀川橋(午後1時30分)、小村神社(2時30分)、日下橋(3時17分)、猿田洞(4時2分)、谷地(4時55分)、佐川駅(6時40分)
移動距離約35km
歩 数47,388歩
グーグル・マップのポイントつき地図は一時的に掲載を見送っています。グーグルから、ポイント数が多すぎると指摘を受けたためです。他の対処法を考えております。少々お待ち下さい。
桂浜の朝日に頭を垂れて、旅が始まる
「脱藩の道」は龍馬生誕地が出発点となりますが、旅の始まりは桂浜の夜明けからと決めていました。桂浜は龍馬の像が置かれ、土佐・高知を象徴する坂本龍馬ゆかりの場所です。午前6時20分頃の日の出にあわせて5時30分、桂浜に到着。浜にある東屋で一服つけて待っていると5時50分くらいから水平線が少しずつ橙色に輝いてきます。
神々しい景色に思わず黙祷。あわせて夜明けを待っていた漁船が海上に現れ、これもなかなか旅情豊かです。6時25分頃には周囲もすっかり明るくなったため、龍馬像を拝見してから、6時46分発「公園通経由鳥越行き」のバスに乗り、脱藩の道出発点である龍馬生誕地へと向います。
なお、桂浜での朝日遥拝は筆者の勝手な事始めであり、龍馬脱藩の道本編(龍馬生誕地〜伊予長浜)の距離や時間計測からは除外します。
龍馬生誕地〜和霊神社
龍馬生誕地
7時30分、龍馬生誕地を出発。脱藩の道独行取材の本編が始まりました。初日は佐川までの35km、山道の峠越えはなくすべて舗装道路です。
台風一過の快晴となったこの日の高知、朝7時の気温は15度(携帯用気温計で計測。以下同)、日中は25度まで上がる予報でした。最初の目的地である坂本家の屋敷神、和霊神社までは距離およそ3.5km。鏡川を渡り、市街地から住宅街を歩きます。グーグル・マップで「龍馬生誕地」、「和霊神社」と検索すればヒットしますので道順に不安はありません。ただし、龍馬が歩いた道は神田川橋を渡り、石立交差点を曲がる道順です。
神田川橋
気合を入れて出発したはずがいきなりの空腹。朝から開いている道沿いの食堂をみつけ、簡単に朝食をとります。食後ゆっくり歩いていると道沿いに水天宮をみつけて参拝。この水天宮は、河童のいたずら封じや子供の水難よけとして信仰され、1824年(文政7年)福岡の本社から勧請されたそうです。8時30分、神田川橋を渡り土佐道路(国道56号)に出たら右折、四万十市・土佐市方面に進み幹線道路を歩きます。
石立交差点
8時43分、石立交差点を左折し県道37号線に入ると5、6分後には道沿いに「龍馬ゆかりの地 和霊神社」という青い小さな看板を発見。この後も道沿いに道標や地図があり、迷うことはありません。
今回の旅では、愛媛側で倒れていたり引きぬかれていたのが3か所、道標のなかった分岐が1か所、わかりにくかったところが1か所ありました。これは基本記事中で説明しました。しかし、日下橋付近〜旧宿間村(亀ノ甲)まで山道を含め約100kmに及ぶ行程を滞りなく案内してくれる道標に感謝です。
和霊神社
9時25分、和霊神社に到着。朝食と取材がなければおそらく小1時間程度の距離です。素朴な鳥居を入り、樹々に囲まれ苔むした石段を登ると社殿がみえてきます。鳥居側の石碑にはこのように刻まれていました。
「和霊神社 祭神 宇和島伊達藩家老
幕末の志士坂本龍馬4代前の先祖坂本八郎兵衛直益が宝暦十二年(1762年)宇和島の和霊神社を坂本家の屋敷神として勧請。文久2年(1862年)龍馬脱藩の際水杯で武運長久を祈願したと伝わる。昭和60年(1985年)から事績を顕彰した龍馬脱藩祭を行っている。」※( )内は著者追記
和霊神社は小さな山の中にひっそりとあり、板の間の祭壇に神様が祀られている簡素な社殿がかえって旅情を高めます。旅の安全を祈願し、板の間に置かれた参拝者が書き込むノートをみます。龍馬ゆかりの地として多くの方々が様々な思いとともに訪れたことがわかる素晴らしい書き込みの数々に、旅の充実を確信します。中には「これから伊予長浜まで歩きます」という強者のコメントもありました。
和霊神社〜仁淀川橋〜小村神社
ファミリーマート高知神田店
和霊神社を後にしたら元来た道をもどり、コンビニを越して二股にわかれた写真の道を右方向に進みます。最初、ここを左にいき少し迷いました。再びコンビニ(ファミリーマート高知神田店)に戻ったのは10時24分。
能茶山交差点
今度は正しく右へ行き、厳島神社を左にみながら歩き、舞高橋を渡り右に鴨田小学校前を通過してふたたび土佐道路(国道56号)、能茶山交差点に戻ります。目の前の土佐道路を左折すると間違いです。地下道で反対側に出てから左方向へ高知西バイパス沿いにいきます。すぐ右手に西部中学校、続いて左手に高知西高等学校があります。鏡川沿いに歩いていきます。間違えやすいので地図をご確認ください。
とさでん「朝倉駅」
40分程歩いた11時10分頃、二つに分かれた道を左に。その手前、道路上に看板があり左「四万十市・土佐市(県道38号)」と書かれていますから明快です。県道38号に入るとすぐ右側に土佐電「朝倉駅」があり、しばらく線路と平行します。
朝倉駅を通過したのは11時30分、昼食休憩地に定めた小村神社まで約10km、午後1時半には着きたいところです。朝倉駅付近では長宗我部元親に敗れた本山梅慶の居城、朝倉城跡の看板をみつけ後ろ髪をひかれます。
いの町に入る
朝倉駅を通ぎ、とさでん沿いに歩くと正午、いの町に入り、坂道を上り切ったところでしばし小休止。龍馬生誕地からここまで約12km、心身の状態を冷静に考慮し山道を含むここから先の約110kmに及ぶ取材・踏破を考えます。結果、様子をみながらどこかのタイミングで荷物を減らすことを決め、撮影機材の中からいくつかを宅急便で送り返そうと考えをまとめます。
いの町中心街
いの町の中心に近づくと道が二手に分かれますが、道なりに左にいき、街を抜けると午後1時5分、仁淀川と山並みの美しい景観が現れます。ここまではほぼ市街地と幹線道路が続いていましたから、ほっとします。
仁淀川/仁淀川橋
仁淀川は高知県と愛媛県にまたがる一級河川であり、吉野川、四万十川に次ぐ四国第三の河川。全国屈指の良好な水質でも知られます。鏡川、仁淀川、新荘川、梼原川など、道中みられるいくつもの清流は、脱藩の道の大きな魅力の一つです。
仁淀川橋からの雄大な景色を堪能し1時30分、引き続き交通量の多い県道33号をいきます。強い日差しに携帯用気温計を確認すると26度を示していました。仁淀川橋の付近には川沿いの公園が整備されていますので、この辺りで昼食休憩をとるのも気持ちが良いでしょう。自分は時間がおしているため先を急ぎます。道路上の案内板は松山まで108km、本日の目的地佐川まで13kmを表示しています。まずは小村神社まであと2.5kmです。
小村神社
小村神社の手前にある戸梶商店にて、送り返す荷物を発送し軽食を購入。2時30分、小村神社に到着。同社は582年(用命天皇2年)に創建された土佐二ノ宮として知られ、国常立命を御祭神とし、金銅荘環頭大刀拵大刀身を御神体とする神社です。千本杉が植えられた300mの参道は清々しく、社殿の背後にはぜひ見たかった樹齢千年の燈明杉(牡丹杉)があります。
燈明杉は樹齢千年、胸高直系2.7m、樹高25mの大木である他、下枝は杉葉、中程より上は檜や柏のような葉となっている稀な珍種でもあります。伝説によれば、1705年(宝永2年)7月の淀川大氾濫、1854年(安政元年)の安政大地震、日露戦争など世の異変がある時には杉の梢に大きな霊火が懸ったといわれ、これが燈明杉の名の由来となり、里人は神木として崇拝してきたといいます。
1400年という永きに渡りこの地を鎮守してきた小村神社と燈明杉に深々と参拝し、出発します。龍馬が小村神社前を通ったのは暗い時刻ですから、参拝はしなかったでしょうが、一礼くらいはしたかもしれません。日没の5時過ぎまで3時間を切ってしまい、小村神社での小一時間休憩は止め、軽食を食べながら歩を進めます。
山道でなければ日没後に歩くことも問題ないものの、この旅は撮影の都合上、日没前の目的地到着を目指します。
小村神社〜日下橋〜谷地〜佐川
小村神社から次の目的地である日下橋までは約2.2km、その先、佐川駅までは約14kmあります。どうやら日没までに佐川駅に到着することは難しい様相になってきたものの、せめて日があるうちに景色のよい谷地の集落だけは撮影したいと急ぎます。
歩き難い幹線道路
小村神社から日下橋までの県道33号は、周囲は自然が豊かな道ながら、この日だけでしょうか、トラックの交通量が多く歩道が狭いためひたすら歩くことに集中します。30分後の3時17分、日下橋を渡り記念すべきこの旅初の「坂本龍馬脱藩・ゆかりの道」道標の前に立ちます。
日下橋/初めての「脱藩の道標」
ここから先、脱藩の道の徒歩行最終地点の旧宿間村(亀の甲)までは道標が設置されており、それに従えば迷うことはなく、特に高知県側は管理も行き届いていました。ただし、愛媛県側の山中において2、3か所、朽ちて倒れていたり工事業者によって抜かれる、林業のためでしょうか新しい道が造られていてそこには道標がないなどのケースがありました。
また、脱藩の道、全行程中、市街地や幹線道路の車の煩さを感じながら歩くのは概ねここまでです。龍馬生誕地から日下橋までの道は、和霊神社を除けば電車が走っていますから、JR土讃線や土佐電を利用するのも一手です。日下橋近くにはJR土讃線の「日下駅」があります。
日下茂平の屋敷跡
日下橋を越えて歩くと田んぼと山並みが続く田園風景が幹線道路を歩いてきた疲れを癒してくれます。3時半過ぎ、道沿いに小さな立て看板があり、「日下茂平の屋敷跡」とあります。そうか、江戸時代末期の忍者であり怪盗・義賊としても知られる日下茂平はこの地の出身だったかと感心させられます。看板を読み、天狗に忍術を授けられ、豪商・豪農、高知城にまで忍び込んで奪った金品を貧しい民に配ったという伝説を再確認。自分の脚で歩き、現場で見て、感心。偶然も重なり旅の醍醐味を感じます。
猿田洞
この辺りは脱藩の道である他、「四国のみち(四国自然歩道)谷地・佐川へのみち」としても整備されているため、道標や地図が設置され旅行者を助けてくれます。日没を避けるため急ぎ足に歩いていると4時2分、猿田洞(さるだどう)の案内板をみつけます。猿田洞は1858年(安政5年)に発見された全長1420mの石灰洞。自然のまま残されている貴重な洞窟をぜひ見ておきたかったのですが、二人以上の入洞や事前連絡などが義務付けられており断念。
谷地/佐川駅
猿田洞から山を越えて県道53号に出るまで4.2km。その先佐川駅まで6km、日没が迫り、山間の景色を楽しみながらもペースを上げて日没前の到着を目指します。そこから佐川駅の間に谷地(やつじ)の集落があり、高知名産の生姜畑が広がっている景色をぜひみたいと思っていたからです。
4時55分、九十九折の道を抜けてやっと県道53号、谷地の集落に出ました。後は高知特産の生姜畑を見ながら平地を歩きます。途中、左足が痛み始め、歩みが遅くなりつつも6時40分、何とか本日の最終目的地であるJR「佐川(さかわ)駅」にたどり着きます。
JR土讃線「佐川駅」からJR特急あしずり10号高知行に乗って高知駅に戻ります。特急ということもありますが、一日かけて歩いた道のりも電車なら高知駅までたったの27分。凄まじいスピードを実感するとともに、自分の脚や馬で移動していた時代の方々の逞しさ、豊かさも知らされます。
龍馬生誕地を出発したのは午前7時30分、佐川駅到着は午後6時40分。距離約35km、かかった時間は11時間10分、歩数計は4万7388歩をカウントしていました。高知駅に着いたらビジネスホテルにチェックイン。部屋へと入り12kgの荷物をおろすと深い安堵のため息が漏れ、身体がふわっと軽くなります。急いでシャワーを浴びて街に出ます。龍馬が育った高知の街で一杯やりながら食事をとるためです。
これ以上歩く気力はなく最初に目についた川沿いの旬家という店に入ります。ここまで疲れていると身体が強烈に栄養を欲しており、ビールと焼酎、郷土料理の定食をいっぺんに注文します。ロックで頼んだ焼酎は大きめのグラスに並々と注がれ小さな氷が浮いていて、高知の人は酒が好きなのだなと嬉しくなります。
店内には地元の方が県外からの客を連れているらしき一席がありました。「高知の人は本音と建前を使い分けないが、京都の人が拓いた四万十は違う」など高知のことをよく通る声で上手に話しており、その話を肴に美味しい郷土料理とお酒をいただくことができました。