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平氏滅亡

平氏都落ち

和暦 西暦 天皇/将軍/執権 日付 鎌倉の動向
寿永2年 1183年 後鳥羽 7月25日 平氏都落ち。木曾義仲に攻められた平氏は安徳天皇と三種の神器を奉じて都落ちした。
10月5日 木曾義仲追討のため、頼朝は鎌倉を出て上洛の途につくが上洛は中止となり、義経が京都へ向かう。これに先立ち頼朝は後白河法皇より東海道、東山道(東国)の支配権を得る。
元暦元年 1184年 後鳥羽 1月20日 宇治川の戦い。頼朝は弟、源範頼、義経らに義仲追討を命じる。義仲軍1,000騎あまりに対し3万騎の頼朝軍は木曾義仲軍を破る。佐々木高綱と梶原景季の先陣争いは有名。
1月21日 粟津の戦い。瀬田で戦っていた今井兼平と合流した義仲は粟津において源範頼、義経らに再び攻められ討ち取られる。
1月29日 源範頼、義経が平氏討伐のため京都を出発。西国に向かった。
2月7日 一ノ谷の合戦。源範頼、義経らが率いる源氏軍が勝利し、平氏の大将、平重衝を生け捕りにする。
2月13日 一ノ谷の合戦で討ち取られた、平通盛、忠度、経正、教経、敦盛、知章、経俊、業盛、盛俊などの首が八条河原に晒される。市の如く人が集まったという。
3月10日 頼朝伊豆配流の折、ほとんどの家来が変心したものの長田の父資経済は親族の資産を添えて家来に頼朝を伊豆まで送らせた。そのため、頼朝は子の長田実経に本知行の安堵を下した。
3月17日 平家追討軍の板垣兼信が、元来配下であった土肥実平が勝手に軍の差配をしていると頼朝に言上するも、一門とか家人など関係ない、実平は貞節あり頼朝の目代として能力もあると突き返す。
3月20日 大内惟義を伊賀守護に命じる。伊賀は平氏の元来の所領である。
3月27日 頼朝、正四位下に除せられる。
3月28日 武家の者について、後白河法皇から命令があれば速やかに成敗する。しかし、武家に道理がある場合には、追って奏聞すると定めた。
4月4日 御所の庭にある桜が咲き、特に鮮やかであったため一条能保、平時家とともに花見。管絃、詠歌が催された。また、この日、志田(源)義広、伊勢において討ち取られる。
4月6日 平治の乱の折頼朝の助命を嘆願した池禅尼の子、平頼盛の所領を頼朝に下す朝廷の使者があったが、池禅尼の恩徳に報いるため頼朝はこれを辞退し頼盛家に帰するよう要請。
4月8日 一ノ谷の合戦にて生け捕りにされた平重衝が伊豆から鎌倉に護送される。頼朝は御所内の一棟に招き狩野介宗茂の一族郎党に警護させた。
4月14日 頼朝の乳母の妹として伊豆配流時代から頼朝に京の情勢を伝え続けるなど助勢を惜しまなかった三善康信が京都から鎌倉に到着。
4月15日 頼朝、鶴岡若宮にて三善康信と対面。鎌倉に住み、武家の政務を補佐するよう要請。
4月21日 木曽義仲の子であり、頼朝の長女大姫の婚約者である義高が鎌倉を抜け出す。大姫が逃がしたといわれる。5日後、義高は武蔵入間で殺害される。
5月2日 木曽義高誅殺の報を聞いた御家人が大挙して鎌倉に馳せ参じた。
5月3日 平氏の残党が伊勢国にいると聞いた頼朝は「例え軍勢を派遣し、凶賊がいる所でも伊勢神宮に無断で神が鎮座される地にむやみに乱入してはならない」と命じる。
5月19日 頼朝、平頼盛、一条能保を伴って由比ヶ浜から船に乗り杜戸(現・森戸)の岸まで遊ぶ。御家人たちは前途を競い合った。杜戸の松の下において小笠懸が行われた。
6月16日 威勢を振るい世を乱す一条忠頼、誅殺される。
6月21日 頼朝は源範頼、平賀義信、源広綱を呼び、酒をすすめ除目の結果を伝えた。同三河守、駿河守、武蔵守である。推挙を自薦していた義経は推挙されず範頼が推挙された。
6月23日 信濃から片桐為安を呼び、旧領を戻した。為安の父が源義朝に仕えたため平氏によって領地を没収されていたものだった。
6月27日 御台所(北条政子)は、先に木曽義仲を討った藤内光澄を打ち首にした。大姫が憔悴しているためだという。命令を受けて誅殺した当人にとってはやるせない結果となった。
7月2日 高野山の領地に寂楽寺の僧徒が乱入し非法狼藉を行っているとの訴えに、頼朝はただちに審議し狼藉を止めるよう命じた。
7月7日 伊賀において平氏の残党、平信兼(前出羽守)らが反乱を起こす。伊賀守護大内惟義の家人らが討たれる。
7月19日 伊賀守護、大内惟義によって伊賀の反乱が鎮圧される。後日惟儀は頼朝に報告とともに恩賞を願いでるが、一国の守護が賊徒によって家人を討たれたのは職務怠慢であると一蹴される。
8月6日 源範頼、足利兼高、武田信義、千葉常胤など平氏追討のため西へと出陣する御家人たちに餞別の酒宴を催す。それぞれに馬一頭などが与えられた。
8月8日 源範頼を大将とする平家追討使が鎌倉を出発。
8月10日 京に潜伏していた平信兼らを頼朝の命を受けた義経が討ち取る。
8月17日 京の義経から使者。後白河院の強い要望で固辞できず頼朝に無断で左衛門少尉、検非違使に任官したという言い訳の書状であった。義経が頼朝の意向に背く事今回に限らず。
8月19日 絵師の藤原為久が京都へと帰る。頼朝から餞別が贈られた。
8月27日 公文所の建物が完成。大江広元、三善康信、足立遠元、惟宗孝尚らが集まり酒が振る舞われた。源範頼率いる平氏追討軍が京都に到着。
9月1日 源範頼率いる平氏追討軍が京都を出発、西海へと向かった。
10月6日 公文所(行政機関)開設。大江広元を別当とした。
10月15日 頼朝が紅葉を見物していると、そこに鶴岡若宮別当の法眼がやってきた。
10月20日 問注所(裁判機関)開設。三善康信を執事とした。
11月21日 頼朝は派手好きで聞こえた藤原俊兼を呼び、華美を戒めた。俊兼の小袖を切り取り「千葉常胤や土肥実平は普段から質素を旨とし勲功に備えているのに、頭の良いお前がなぜわからん」。
11月23日 園城寺の使者が頼朝に平氏の旧領を寄進するよう請願するため鎌倉に来た。過日平清盛によって焼き討ちにあったためである。12月1日頼朝は使者を呼び寄進を下した。
11月26日 頼朝は父義朝の伽藍を建立するための適地を探し、御所の東南にある霊崛を寺院造営の地と定めた。後の勝長寿院である。
12月2日 平氏追討軍の佐々木盛綱より「乗る馬がない」との書状が届いたため、頼朝は特別に馬をおくった。
12月7日 備前国児島に平行盛が城郭を構え、対岸にいた佐々木盛綱を挑発した。盛綱は船が見つからず馬のまま海路を押し渡り6騎にて行盛を蹴散らした。
12月26日 頼朝は佐々木盛綱の武勇を書状により讃えた。「昔から河を渡る話はあるが、馬で海の波を押し渡ったというような例は聞いたことがない。世にも稀な壮挙である」と。
文治元年 1185年 後鳥羽 1月6日 平氏追討軍が兵糧や船の枯渇により士気低下著しいとの報告が入り、鎌倉から物資輸送の用意がなされ、頼朝の書状が源範頼におくられた。
1月21日 頼朝、政子を伴って栗浜神社(現横須賀市久里浜8丁目の住吉神社)に参拝する。
1月26日 平氏追討軍が九州・豊後に向けて周防を出発。臼杵惟隆、惟栄らが兵船を、宇佐那木遠隆が兵糧米を献じた。
2月1日 平氏追討軍が豊後上陸。北条義時、下河辺行平、渋谷重国らが最初に上陸した。平氏方の原田種直、種益らが攻め寄せるも平氏追討軍が討ち取った。
2月5日 平氏追討を理由に各地の武士が畿内諸国において狼藉を働いているという報を受けた頼朝は、中原久経、近藤国平を派遣して鎮めた。
2月12日 頼朝は伊豆において勝長寿院の伽藍建立のための材木を求める視察を行う。
2月16日 関東からの援軍が讃岐に到着し、義経が先陣となって船出した。平宗盛は讃岐の屋島を城郭となし、平知盛は九州の兵を率いて門司関を固めていた。
2月18日 暴風によって船の多くが破損する中、義経は出陣を強行。阿波の椿浦に上陸し住人に案内させすぐに屋島に向けて出陣し、途中桂浦の桜庭介良遠の守る城を落とす。
2月19日 義経は夜間阿波と讃岐の国境の山を越えて屋島の内裏向かいの浦に着いた。安徳天皇や平宗盛一族は海上に逃れ矢を射た。南御堂(勝長寿院)の建立始めがあった。
2月21日 平氏は讃岐の志度寺に引きこもった。
2月22日 梶原景時率いる関東の援軍が140艘が屋島の磯に到着。
3月7日 東大寺修造のため頼朝は奉加の物資を大勧進の重源聖人に送った。米1万石、砂金1千両、絹1千疋であった。
3月18日 南御堂で番匠の一人が木屋から落ちたが無傷であった。これは頼朝の祈願が仏の意に叶っているためだろうと頼朝は何度も珍しがったという。
3月21日 葦屋浦の戦い。頼朝は義経を京に残し、平氏の退路を断つべく範頼率いる軍勢を九州へと上陸させ、平氏方の原田種直らを破る。これにより平氏は孤立する。
3月22日 屋島の戦い。水軍に慣れた平氏に苦戦する義経に対し頼朝は屋島攻撃を指示。奇襲によって屋島を奪い平氏は彦島へと退いた。
3月27日 寿永元年(1181年)に土佐において戦死した頼朝の弟希義の死体は平氏を恐れて放置されようとしたが、それを供養した琳猷上人が鎌倉を訪れ頼朝に謁見。頼朝は賛辞を尽くした。

平氏滅亡

和暦 西暦 天皇/将軍/執権 日付 鎌倉の動向
文治元年 1185年 後鳥羽 3月24日 平氏滅亡。壇ノ浦の戦い。頼朝軍は義経を大将に840艘の水軍を編成して出撃。陸を行く範頼を大将とする軍勢が平氏軍の退路を断った。平氏方は敗れ滅亡した。
4月11日 南御堂、立柱の儀の最中、平氏討伐を知らせる使者が着く。その記録を読んだ頼朝は鶴岡若宮の方を向き感無量のまま黙って座った。その後使者を呼び詳細を訪ねたという。
4月12日 平氏滅亡後の処置について評議が行われた。範頼は九州に留まり、義経は捕虜を連れて上洛せよとの命が発せられた。
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