頼朝前夜
710年、行基によって甘縄神明神社が開かれます。その後、1030年に頼朝から遡ること4代の源頼義が鎌倉を領地としたことから鎌倉は河内源氏の拠点となっていきます。
和暦 |
西暦 |
天皇/将軍/執権 |
鎌倉の動向 |
和銅3年 |
710年 |
元明 |
行基によって甘縄神明神社が開かれる。 |
養老5年 |
721年 |
徳道によって岩殿観音堂(現岩殿寺)が開かれる。後、行基が十一面観音を安置。 |
神亀年間 |
724年〜729年 |
聖武 |
長善寺(現辻の薬師)。この頃、星井寺が行基によって開かれる。 |
天平6年 |
734年 |
聖武 |
行基によって杉本寺が開かれる。 |
鎌倉、河内源氏東国支配の拠点となる
和暦 |
西暦 |
天皇/将軍/執権 |
鎌倉の動向 |
長元3年 |
1030年 |
後一条 |
源頼義が平忠常の乱を平定。平直方の娘を娶り鎌倉の大倉にあった直方の屋敷を譲り受け 鎌倉が河内源氏東国支配の拠点となる。 |
長暦3年 |
1039年 |
後朱雀 |
源頼義の長男、源義家生まれる。 |
永承6年 |
1051年 |
後冷泉 |
前九年の役始まる。 陸奥守・源頼義による奥州・安倍氏討伐の戦い。義家も参戦した。 1051年に始まり1062年に終了。 |
康平6年 |
1063年 |
後冷泉 |
前九年の役に勝利した源頼義が鎌倉由比ヶ浜に河内源氏の氏神である岩清水八幡宮を勧請。由比若宮(元八幡)と呼ばれている。 |
承保2年 |
1075年 |
白河 |
源頼義死去(87歳)。河内源氏の祖、源頼信の子。今日名をなしている河内源氏系の武将のほとんどは頼義を祖としている。 |
永保3年 |
1083年 |
白河 |
後三年の役。安倍氏にかわり奥州の覇者となった清原氏の内紛に源義家が介入し勝利した。雁行の乱れから奇襲を悟った逸話は有名。 |
永長元年 |
1096年 |
堀河 |
源為義生まれる。 |
嘉悦元年 |
1106年 |
堀河 |
源義家死去(68歳)。 |
保安4年 |
1123年 |
崇徳 |
源為義の長男、源義朝生まれる。少年期〜青年期を上総や鎌倉で過ごし多くの関東勢力を膝下にまとめる。 |
頼朝誕生
和暦 |
西暦 |
天皇/将軍/執権 |
鎌倉の動向 |
久安4年 |
1147年 |
近衛 |
源義朝の3男、頼朝生まれる。母は正室で熱田大宮司の娘である由良御前。幼名は鬼武者。 |
久寿2年 |
1155年 |
後白河 |
後白河天皇即位。1158年に退位して後も34年にわたって院政を行い、平清盛、源義朝、源頼朝などと渡り合った。 |
保元元年 |
1156年 |
後白河 |
保元の乱。後白河天皇(源義朝、平清盛、源義康)と崇徳上皇(源為義、平忠正)の勢力が衝突し後白河方が勝利。源為義死去(61歳)。 |
保元3年 |
1158年 |
後白河 |
頼朝、皇宮宮少進。義朝の京での活躍により頼朝は平治の乱まで昇進を続ける。これが後に役に立つことになる。 |
平治元年 |
1159年 |
二条 |
頼朝、上西門院蔵人補任。平治の乱勃発。源義朝と藤原信頼が信西、平清盛と衝突。源義朝討たれる(38歳)。 |
永暦元年 |
1160年 |
二条 |
父・義朝とともに平治の乱に加わった頼朝は捕らえられ伊豆蛭ガ小島に配流となる。頼朝14歳。 |
仁案2年 |
1167年 |
六条 |
この頃、伊東祐親長女との間に千鶴丸を設けるが伊東祐親に殺される。 |
安元3年 |
1177年 |
高倉 |
頼朝(31歳)、北条時政の長女政子(21歳)と結婚し大姫を設ける。 |
治承3年 |
1179年 |
高倉 |
平清盛のクーデター、治承三年の政変によって後白河法皇は幽閉され、院政が停止される。 |