本立寺

ほんりゅうじ

清和源氏、江川家の菩提寺

源頼朝が挙兵した蛭ヶ小島のすぐ近く、清和源氏の一門、江川家の菩提寺。日蓮の伊豆法難にもゆかりの寺院。

本立寺

本立寺

源頼朝挙兵の地、蛭ヶ小島周辺の主な史跡。

源頼朝挙兵の地、蛭ヶ小島周辺の主な史跡。

エリアその他
住 所静岡県伊豆の国市韮山金谷268-1
宗 派日蓮宗
御本尊祖師像・曼荼羅
創 建永正3年(1506年)、江川英盛

源頼朝挙兵の地のすぐ近く、江川家の菩提寺

源頼朝が挙兵した蛭ヶ小島のすぐ近くにある日蓮宗の由緒寺院。中世以来の名家・江川家の菩提寺です。創建は永正3年(1506年)、江川家14代当主、英盛が建立しました。鎌倉との関わりは、江川家、日蓮、梵鐘の3つです。

中世以来の名家、江川家の菩提寺らしく格式を感じる流麗な寺院です。樹々の剪定も美しく、参拝した後、境内の石に腰掛けてしばらく佇んでしまいました。

江川家は清和天皇の血を受け継ぐ清和源氏の一族。清和天皇、源経基、源満仲と続き、満仲の子である源頼親が江川氏の始祖です。頼親の一族は大和源氏と呼ばれます。

源頼朝を輩出した河内源氏は満仲の子、源頼信(968-1048)が河内国石川郡を本拠地としたことから始まっています。したがって、満仲までは同じで頼親が大和源氏(江川氏)、頼信が河内源氏(源頼朝)ということになり、いずれも源氏の名家です。

江川氏も初めは大和に住み宇野氏を名乗っていましたが、平安末期に伊豆に移住して源頼朝挙兵の際、当時の宇野家当主が源頼朝を助けたことから、江川荘を安堵されました。その後、室町時代に江川氏を名乗るようになったようです。境内案内板の説明には源の氏も使われています。

江戸時代に入ってもほぼ全ての期間において明治維新まで相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領5万4千石分の代官でした。このように平安時代〜明治維新までこの地域の領主として家が続いたことになります。その数38代。凄いです。

日蓮聖人の伊豆法難を助けた

日蓮は弘長元年(1261年)から弘長3年(1263年)まで伊豆流罪となりました。日蓮四大法難の一つ、伊豆法難です。その際、江川家の16代当主英親が日蓮を招き強化が行われました。もう一つ、梵鐘は、元々鎌倉の東慶寺にあったものです。梵鐘に刻まれた文字を見ると、東慶禅寺の梵鐘であると刻まれています。

本立寺縁起

境内案内板の本立寺縁起を引用しておきます。

日蓮宗本山
大成山 本立寺〔江川家菩提寺〕
縁起

「当山は、比叡山で修行中の大檀那江川家十六代の当主江川太郎左衛門英親公が日蓮聖人を当地に招き、そのおり日蓮聖人より御自筆の火伏氏の曼荼羅を授与され、家門繁栄・子孫長久の祈願を奉行される。
以来江川家は七百年の伝統を継承し現在に至る
英親公七十三歳の春、身延山に登詣、日蓮聖人より優婆塞日久の法号を授け御眞筆の曼荼羅・祖師像を授かる。
本立寺建立の歴史は英親公(日久上人)の力大なるものあり。
後、永正三年六月(一五〇六)江川家二十四代英盛公が邸内にあった大乗庵を当地に移し本立寺を建立す。
現在の本堂は、昭和三年四月八日落慶入仏式を奉行す。
本堂裏に江川家代々の墓碑が並び一段目の中心に開基優婆塞日久上人の墓、最上段に源英龍・坦庵公・源英敏公・源英武公の墓碑が七百年の伝統を伝え現代に至る。」

本立寺フォトギャラリー

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