源頼朝上陸の地
目 次
源頼朝上陸の地
(みなもとよりともじょうりくのち)
源頼朝の再起はここから始まった。日本史上最大級の転換点
治承4年(1180年)8月23日・24日、石橋山合戦に敗れた源頼朝は、真鶴町岩海岸より海路敗走し、ここ千葉県竜島に上陸。ここから再起。わずか半月後には大軍を率いて鎌倉入を果しました。
エリア千葉
住 所千葉県安房郡鋸南町竜島165-1
アクセスJR内房線「安房勝山駅」より、徒歩15分
〒299-2118 千葉県安房郡鋸南町竜島165
源頼朝、石橋山合戦に敗れ真鶴岬から脱出、海路を安房へ
治承4年(1180年)4月27日、伊豆に配流となっていた源頼朝のもとに以仁王による平氏追討の令旨が届きます。同年8月20日、頼朝は伊豆において挙兵、伊豆国目代山木兼隆を討ち取り、そのまま相模国(神奈川県)へと兵を進めます。
8月23日、24日、頼朝は石橋山付近において平氏方の大庭景親と合戦に及びますが、三浦一族の到着を待つ頼朝勢は三百騎、平氏方大庭勢は三千騎。頼朝の忠臣たちは命をかけて戦いますが、多勢に無勢、退却を余儀なくされます。
頼朝は山中に潜むなどして討手の追撃を逃れ、箱根権現(現 箱根神社)らの助けも受けつつ、8月28日真鶴岬(現 神奈川県足柄下郡真鶴町岩)にある「源頼朝船出の浜」から船に乗り、8月29日安房国平北郡猟島(現 千葉県安房郡鋸南町竜島)に到着しました。
安房に上陸した頼朝は、ご存じのとおり再起。大軍を率いて鎌倉入りし、治承・寿永の乱を治め「鎌倉」という新しい日本の形を創っていきます。
この時、上陸した房総半島の安房は、現在の千葉県安房郡鋸南町竜島(きょなんちょうりゅうしま)です。竜島とは島の名ではなく、その辺り一帯を指す地名であり住所となっています。『吾妻鏡』には頼朝上陸の場面はこのように描かれています。
「二十九日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を相具し、扁舟に棹さし安房国平北郡猟島に着かしめ給う。北条殿以下人々これを拝迎す。」
房総半島は当時、南から安房国、上総国、下総国にわかれており、安房を安西氏、上総を上総介広常、下総を千葉常胤がそれぞれ支配していました。特に大国上総を治める上総介広常は、頼朝の元に参陣した際に2万騎を引き連れ、再起の原動力となります。
上総介広常の勢力は1万騎、千騎などともいわれますが、2万騎と書いた『吾妻鏡』は千葉氏、北条氏、三浦氏などの勢力を300騎程度に記述していますから、桁違いの実力者であったことは確かでしょう。
この竜島に上陸した頼朝は、地元の平氏方豪族長狭常伴の襲撃を蹴散らし、安西景益の館に入り、諸方に参陣を求める使者を出します。別格の勢力を持つ上総介広常、千葉、三浦、北条、安西など源氏恩顧の勢力がこれに応じ、海路の敗走からわずか半月後には先祖伝来の要害の地、鎌倉へと入ります。
竜島七姓
源頼朝はこの地に上陸し、近くの神明神社において一夜を明かします。その時、近隣の住民たちは衣食を持ち寄り、手厚くもてなしました。喜んだ頼朝はこれに報いるため姓を下しました。そのうちの七つは竜島七姓といわれています。
「左右加、馬賀、艫居(ともい)、間、渡」、「菊間、柴本、中山、久保田、鰭崎(ひれさき)、生貝(いかがい)、松山」の各姓で、後者を竜島七姓といい、現在も周辺にはこれらの姓が残っているそうです。横須賀の知人にも馬賀姓の方がいますが、もしかしすると関係があるかもしれません。今度会ったら確認してみようと思います。
東京湾フェリーを利用しての海路が気分最高
源頼朝上陸地は房総半島の南部、安房郡鋸南町竜島にありますから、東京方面から車を利用する場合、東京湾アクアラインを利用することが多いでしょう。私のように神奈川県南部に住ん
でいる場合には、久里浜港からフェリーを利用する方が多いのではないでしょうか。
東京湾フェリーの通る浦賀水道を横断して上総・下総へと至るルートは宝亀2年(771年)に武蔵国が東山道から東海道に編入され、陸路となるまで東海道のルートでした。頼朝の時代には、すでに東海道は陸路であったわけですが、頼朝の「鎌倉」を生み出した大きな原動力である三浦半島と房総半島は海上を通じて盛んな交流が計られていましたから、それを偲ぶためにも東京湾フェリーがおすすめ。乗船時間は約40分と気軽に利用できる船旅です。
浦賀水道は、もちろん現在でも多くの艦船が行き来しており、フェリー船上からは大きなタンカーや日米軍艦の姿をみることができます。この日は横須賀を母港とする米海軍アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の13番艦「ステザム」(DDG-63)といういわゆるイージス艦がフェリーの先を米海軍横須賀基地に向かって航行していました。勇壮な軍艦や大海原を飛ぶ、沖のカモメを眺めながらカップ酒を呑むのは大変よい気分です。
本ブログは行政区分の鎌倉市ではなく、稀代の鬼武者、源頼朝の創成した「鎌倉」を追いかけることを主題にしています。頼朝の再起の出発点、千葉県・竜島の静かな海岸線に佇んで想像を巡らせる、このような時間が貴重なものだと思ったからです。
「源頼朝上陸地」は千葉県指定史跡として適度に整備され、石碑周辺には石碑や丁寧な案内板、東屋などがあります。