隠里稲荷

目 次

隠里稲荷

かくれざといなり

源頼朝の枕元にたったお稲荷様

伊豆配流中だった源頼朝の枕元にたち、病床から救ったと伝わるお稲荷さんです。

隠里稲荷

隠里稲荷

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市扇ガ谷1-16-3(英勝寺)
御祭神宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)
創 建12世紀?
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分

隠里稲荷

扇ヶ谷を散策するなら、見過ごさないで欲しい見所

鎌倉駅、裏駅(西口)を出てまっすぐ進み、市役所前交差点を左折、今小路に入ります。巽神社寿福寺を越えて10分程度歩くと左手に英勝寺があり、塀を過ぎてすぐに隣接するようにして「阿仏尼の墓」と「隠里稲荷」が並んでいます。いずれも英勝寺さんが管理されているようです。

隠里稲荷。写真奥に英勝寺の入口があります。

隠里稲荷。写真奥に英勝寺の入口があります。

左隣に阿仏尼の墓と伝わる石塔があります。

左隣に阿仏尼の墓と伝わる石塔があります。

ちいさなやぐらに祀られたお稲荷様ですが、案内板によれば大変逞しい神社です。案内板を引用します。前半部分はお稲荷様の一般的な記述なので、割愛します。

「〜(略)〜鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の蛭が小島にいたとき病の床につき三晩続けて同じ白ひげの老人の夢を見ました。その老人の言うとおりに薬をのみますと病はなおりこれが縁で幕府を開くことが出来たということです。この白ひげ老人が隠里稲荷の化身であったということです。
お稲荷様は大切にお祭りしましょう。
英勝寺」

源頼朝の枕元にたった神様は鎌倉に3柱あります。頼朝に挙兵・開府を促したお稲荷様は「佐助稲荷神社」、頼朝に安心立命・国内平穏のために、この地の宇賀福神を崇拝するよう促した「銭洗弁財天」、そして、配流の身であった頼朝を病から救ったこの「隠里稲荷」です。

お稲荷さんは建速須佐之男命の子

稲荷神社は和銅4年に宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)が京都の伏見神社に鎮座されたのが始まりです。古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)、日本書紀では「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」といいます。

日本を創られた伊邪那美命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の子である、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が櫛名田姫(くしなだひめ)の次に娶った神大市姫(かみおおいちひめ)との間にうまれた子です。穀物の神として敬われ、現在では農業・商工業の神としても厚く信仰されています。

江戸時代に水戸光圀によってかかれた
『新編鎌倉志』をみると、この辺りは寿福寺英勝寺浄光明寺と立派な寺院が隣接して並ぶ一角でした。現在は間に横須賀線が走り、住居などが建ってしまいましたが、往時の姿を想像して楽しみます。

隠里神社フォトギャラリー

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