関東唯一の運慶仏
横須賀市の浄楽寺に運慶の作品を見に行ってきました。
とても感動的な体験で、素晴らしかったです。
ただ、アットホームすぎておじさんたちの私語(素人批評)が耳について、それだけは勘弁してほしかったです。
平安末期から鎌倉初期にかけて、運慶に代表される慶派が世界美術史上においても類まれなる傑作を多数生み出しました。
慶派の拠点は奈良の興福寺であり、30数体現存するとされる作品もそちらに多くが残っています。
現在の行政区分による鎌倉市に運慶の作品はありません。しかし、昔の鎌倉地域という範囲に広げれば、隣接する横須賀市の浄楽寺に5体の運慶仏が現存しています。
もう少し範囲を広げると、伊豆・韮山の願成就院にも5体の運慶仏があります。
こちらも素晴らしい傑作ですので、お好きな方はぜひご覧になって下さい。
浄楽寺は源頼朝が父・義朝の菩提を弔うために鎌倉に建立した勝長寿院を引き継ぎ、和田義盛が横須賀市佐島に建てたお寺です。
(詳しくは浄楽寺のページをご覧下さい。)
浄楽寺の運慶仏は5体あります。
阿弥陀三尊像(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)、不動明王・毘沙門天の5体です。
素人批評は避けたいので、運慶の魅力については『日本美術全史』(講談社学術文庫 刊、田中英道 著)をおすすめします。
著者の田中英道氏と、ある仕事でお会いすることがあり、とても気さくな方でしたので「浄楽寺の運慶仏はいかがでしょうか?」と聞いてみると、
「作品をみればすぐにわかる。あれはまぎれもなく運慶で、素晴らしい作品です。」とお答えを頂きました。
もともとは定朝作といわれ、国宝に指定されていました。でも、定朝のマニエリスム的な平安仏とは全然違います。昭和34年の調査で運慶の銘が発見され、運慶作と認定されたという経緯があります。
こういう話を聞くといつも思うのですが、日本の美術史家の方は銘が発見されないと定朝と運慶の違いは見分けられないということなのでしょうか。
だとしたら、史実とは関係なく書かれた中国の歴史書を信じて、ありもしないいもしない邪馬台国や卑弥呼を探している歴史家とあまりかわらないですね。
失礼にとられると申し訳ないのですが、そのように感じていました。
ところが、先述の田中先生はものすごい力で形を見抜く方であり、畏れすら感じました。
同時に田中先生は「美術史家といっている人でも見抜く目をもっていない人も多い」と嘆かれていました。
鎌倉に生まれ育ってみて、「鎌倉らしさ」を感じたいと知人などに聞かれると、結構難しいです。
全体としての雰囲気はそこかしこで充分に味わえるのですが、それは充分知っている人に、
作品で鎌倉時代の鎌倉を鎌倉で感じたい、と言われるとなかなかありません。
そんなときは、いまの行政区分の鎌倉市にとらわれず、浄楽寺の運慶仏です。
武士の時代が始まったあの時代の作品がそのまま、いまも目の前にあります。
浄楽寺の開帳は年に一度、10月19日です。他にも予約制で見ることもできるようです。詳しくは浄楽寺に問い合わせてみてください。