鎌倉景政
目 次
鎌倉景政
(かまくら かげまさ 1069-?)
鎌倉武士の鑑といわれた名将
桓武平氏の一族
鎌倉景政(景正とも)は桓武平氏の一族。相模南部の鎌倉郡一帯を治めていました。源頼朝から遡ること3代、武神と崇められる源義家に仕え、鎌倉武士の鑑とされる程勇敢な武士でした。鎌倉権五郎景政は鎌倉氏を最も興隆させた勇士として知られ、現在も鎌倉氏坂ノ下の御霊神社に祀られています。景政の屋敷は鎌倉市由比ガ浜にあったといわれています。他に藤沢市村岡や千葉県野田市の目吹城にも館があったといわれる場所があります。
桓武平氏とは平安時代前期から中期に活躍した桓武天皇の孫、高望王(平高望)を祖とする一族です。葛原親王の第三皇子高見王の子として生まれた高望王は、889年(寛平元年)平朝臣として臣籍降下(後続が身分を離れて臣籍に入ること)して平高望となり、898年(昌泰元年)上総介として現地に赴きました。
現地に赴かないケースが多かったこの時代に、平高望は長男国香、次男良兼、三男良将を伴って上総に入ったうえ任期が過ぎても現地に留まり上総を中心に常陸、下総、武蔵、三浦などに勢力を拡大しました。
側室の藤原範世との間にうまれた平良文は後に坂東八平氏となり、関東各地に勢力をもちました。この一族は後に源氏の家臣団として組織され、源頼朝の鎌倉創成においても中心的な役割を果たし、三浦義明、千葉常胤、上総広常、畠山重忠、梶原景時といった名だたる名将たちがその一族に連なります。ちなみに、鎌倉景政の曽祖父である村岡忠通の子、鎌倉章名から鎌倉氏を名乗りますが、その兄弟には三浦氏の祖となった三浦為通がいます。
後三年の役における勇名
景政は16歳の時、源義家による後三年の役(1083〜1087年)に従軍し武名を轟かせました。その様子は『奥州後三年記』に以下のように記されています。金沢の柵における激戦です。
「傷を受けたものは数えきれなかった。相模国の住人、鎌倉権五郎景政という者あり。先祖より聞こえたつわものなり。年齢わずか16歳にして大軍を前にして命を捨てて戦い、右目に矢を受けた。矢は首を貫いて兜の鉢付けの板にいたるも、返す矢で敵を討ち取った。
同じく相模国のつわものに三浦平太郎為次というものあり。これも聞こえ高きものなり。為次が景政の顔に足をかけて矢を抜こうとした。景政は伏しながら刀を抜いて、為次のくさずり(鎧の衡胴/かぶきどうから垂らし、下腹部・大腿部を保護するもの)をとらえて突かんとした。為次は驚いて、これはいかに、なにをするといった。景政はこういった。弓矢にあたって死するはつわものの望むところである。しかし、生きながら足にて面を踏まれる事はない。汝をかたきとしてここで死なん、と。
為次は舌を巻いていうことがなかった。膝をかがめて顔を押さえて矢を抜いた。多くの人々はこれを聞いて、景政の高名はいよいよ並びないものとなった。」
武勇と武士としての高い志を示したこの下りから、景政は鎌倉武士の鑑として永く仰がれ、「歌舞伎十八番之内 暫」にも描かれている。景政は知行地であった下総国においてこの時の目の傷を癒やしたといわれ、現在の千葉県野田市目吹には景政が目を洗ったという伝説の「権五郎目洗いの池」があります。また、近くには景政の館があったとされている目吹城跡といわれる場所もあります。
大庭御厨
源義家とともに後三年の役に従軍した後、1104年(長治元年)頃に相模国高座郡南部の一帯(現 茅ヶ崎市、藤沢市)を開墾し、相模国最大の御厨(寄進型荘園。新撰を調達する場所)、大庭御厨(伊勢神宮領)を成立させ勢力を拡大しました。東西の境は、俣野川(現 境川)、神郷(現 寒川)、南北は相模湾と大牧崎(不明)という広大なものでした。景政が御厨を開墾している頃、源義家への土地寄進禁止令が発せられており、そのために主君ではなく伊勢神宮に寄進したともいわれている。
源頼朝の父、義朝は幼少より関東に下向し現地の武士団を膝下にまとめていきました。大庭御厨もまたその舞台となりました。1144年(天養元年)、22歳の義朝は大庭御厨内の勢力争いを利用して在庁官人らと御厨に侵攻、御厨の停止を宣言してしまいました。
この時代、鎌倉景政の孫の大庭景宗が下司として義朝にあたったが、結果的に大庭氏は義朝の膝下に入っていきました。大庭景宗の子、景義、景親兄弟は保元の乱において義朝の郎党として戦っています。
1180年(治承4年)源頼朝が挙兵すると、兄の景義は頼朝につき、弟の景親は平氏につきます。有名な石橋山の戦い(1180年)において大庭景親は頼朝を敗走させますが、後に頼朝に敗れて処刑されます。頼朝に従った大庭景義の系統は御家人として存続するものの、徐々に勢力は衰退していきました。
関連史跡:御霊神社
改めて御霊神社の歴史的な、重要性が分かりました。鎌倉幕府以前の大事な神社なのですね。もっと多くの人に、知って欲しいと、思いました。