熊谷直実
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熊谷直実
(くまがい なおざね 1141-1207)
「敦盛」を生んだ武将
熊谷直貞の子。一ノ谷の戦いにおける平敦盛との一騎打ちは『平家物語』や、能の『敦盛』の名場面として語りつがれている。保元・平治の乱では源義朝に従い戦った後、平氏に仕えるが石橋山の戦いを境に再び頼朝に従う。一ノ谷の戦いでは一番乗りの大功を挙げている。熊谷郷の境界争いでは梶原景時と頼朝の面前にて弁論する場があり、弁論巧者の景時に対して口べたな直実は追い詰められ、その場で刀を抜いて髷を切り、逐電したという。子供のような若武者、敦盛を誅殺したことも関係してか出家を望むようになった直実は家督を子の直家に譲り法然の弟子となって出家。法名は法力房蓮生。出家後は法然に深く帰依し、京都の法然寺、光明寺、熊谷堂、大阪の勝尾寺など多くの寺の開基となった。