夏目漱石
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夏目漱石
(なつめそうせき 1867-1916)
精神衰弱に悩まされ、円覚寺に参禅した漱石
夏目漱石は大政奉還の約9か月前、1867年(慶応3年)1月5日、江戸牛込馬場下横町(現 東京都新宿区喜久井町)にうまれます。明治維新後の混乱期を生き、1916年(大正5年)に亡くなるまで唯一無二といってよい評価を受ける作品を発表し続けます。
鎌倉に住んだことはありませんが、精神衰弱に悩まされ1894年(明治27年)12月末から翌95年(明治28年)1月7日まで北鎌倉の円覚寺にある帰源院にとどまり参禅しました。この時の経験は『門』や『夢十夜』に描かれます。帰源院には漱石の句碑があり「佛性は 白き桔梗に こそあらめ」と刻まれています。その後1897年(明治30年)の夏にも材木座に1か月ほど滞在しています。
『門』は円覚寺参禅をモデルとしており、登場人物の宗助が漱石、宣道は帰源院雲水の釈宗活、老師は円覚寺管長の釈宗演といわれ、帰源院は一窓庵として描かれています。漱石の経験をそのまま反映して小説『門』は描かれます。世を苛むようにひっそりと暮らす宗助と御米の夫婦。秘密を内に抱えて精神的に追い詰められた宗助は、坐禅に救いを求めて鎌倉の禅寺にやってきます。
明治期には作家などが寺院に参禅したり止宿することがよくあったようです。円覚寺では、有島武郎が境内の松嶺院にこもり『或る女』の後編を執筆するなどしています。
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