スポンサー広告

河内源氏棟梁

『國文学名家肖像集』の源実朝。

源実朝

源実朝は河内源氏8代当主。源頼朝の4男。鎌倉幕府第3代将軍。主導権を握った北条氏によって擁立され、1219年(建保7年)頼家の子公暁に討たれた(享年28歳)。これにより河内源氏棟梁の血筋は断絶する。

建仁寺所蔵の源頼家像。

源頼家

河内源氏7代当主。源頼朝の次男。鎌倉幕府第2代将軍。頼朝が急死したことにより18歳で家督を相続。鎌倉殿となりわずか3か月で北条氏主導による十三人の合議制がひかれ決裁権を奪われ、3年後には重い病となる。頼朝は頼家の乳母夫として、比企能員、平賀義信、梶原景時を選んだ。

頼朝と伝えられる画像。神護寺所蔵。

源頼朝

 河内源氏6代当主。源義朝の3男、幼名鬼武者。鎌倉幕府創始者、征夷大将軍。在京の軍事貴族として父義朝とともに平治の乱に出陣。義朝は配死し頼朝は捕縛、伊豆蛭ヶ小島に配流され20年を過ごした後、平氏打倒の兵を挙げ父祖の地鎌倉から全国を平定。

『平治物語絵巻』。敗走する源義朝一行。一番上が義朝、右の子供は頼朝。

源義朝

河内源氏5代当主。源為義の長男。父為義より坂東に送られ養君として過ごし、20代前半で南関東を膝下に組織した。後に頼朝の御家人中最大の勢力を持って挙兵を助ける上総介広常の父常澄に預けら上総御曹司と呼ばれた。

白峰神宮蔵、源為義像

源為義

河内源氏4代当主。源義家の子。義家没後の源氏内紛を経て義家の後を継ぐ。白河法皇・鳥羽上皇に仕え検非違使となるものの辞任。以後10年を無官で過ごした後、摂関家の藤原頼長に仕え従五位下左衛門大尉となる。

『後三年合戦絵詞』に描かれた源義家

源義家

河内源氏3代当主。河内源氏の棟梁として武勇に名高い源頼義の長男にして、母は桓武平氏の棟梁平直方の娘という生まれながらの武家の棟梁。鎮守府将軍。陸奥守として奥州清原氏の内紛に介入し、後三年の役を戦う。

『前九年合戦絵詞』より

源頼義

源頼義は河内源氏2代当主で源頼信の長男。武勇に優れた弓の達人であり、父頼信とともに桓武平氏の棟梁平直方が討伐に失敗した平忠常の乱を平定。平直方は武門平氏の沽券を維持するため娘を武勇の誉れ高い頼義に嫁がせた。頼朝はこの頼義を特に崇拝すべき源氏の祖先としていた。

明治時代、菊池容斎により描かれた源頼信

源頼信

河内源氏初代当主。源満仲の3男。鎮守府将軍などを歴任。河内国石川郡壷井(現 大阪府羽曳野市壺井)を本拠とする河内源氏の祖。摂政藤原道長に仕え武勇に優れた将軍として名を馳せた。平将門以来の大乱となった平忠常の乱(1030年)を平定、坂東武士を膝下にまとめ河内源氏東国支配の礎を築いた。

スポンサー広告
  • facebook
  • twitter

カテゴリー

鎌倉タイムをメールで購読!

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

976人の購読者に加わりましょう

PR

本サイトに掲載されている原稿・写真・独自情報に類するもの等すべてのコンテンツの無断掲載を禁じます。取材・原稿執筆・写真撮影/貸出など承っておりますのでお気軽にお問い合わせください。