川端康成
目 次
川端康成
(かわばたやすなり 1899-1972)
長谷に長く住んだノーベル文学賞作家
川端康成と鎌倉との関わりは、36歳の1935年(昭和10年)鎌倉市浄明寺宅間ヶ谷に住んだことから始まります。報国寺の近く、林房雄の隣家でした。1937年(昭和12年)38歳の時に二階堂に移り、1946年(昭和21年)47歳になり終の住み家となる長谷264番地に転居します。甘縄神明神社の隣にあり、小説『山の音』の題材ともなりました。
長谷の自宅は現在も川端家が居住する個人宅です。同じ敷地には川端康成記念会があり、川端康成の養女政子さんと結婚した東京大学名誉教授の川端香男里氏が理事長を務めています。
1972年(昭和47年)仕事場としていた逗子マリーナにおいてガス管をくわえ絶命しているところを発見され自殺と報道されました。享年72歳。机には可愛がっていた岡本かの子全集に寄せる推薦文の書きかけ原稿が置かれていたそうです。
久米正雄、高見順らと貸本屋「鎌倉文庫」を創設するなど鎌倉文士の中心的役割を果たしました。鎌倉の街中で見かけたことがあるという母にその時の印象を聞くと「ぎょろっとした目が怖かった」といっていました。
鎌倉を題材とした川端康成の代表作といえば『山の音』。少し引用します。
「鎌倉のいはゆる谷の奥で、波が聞える夜もあるから、信吾は海の音かと疑つたが、やはり山の音だった。
遠い風に似ているが、地鳴りとでもいふ深い底力があつた。自分の頭のなかに聞えるようでもあるので、信吾は耳鳴りかと思つて、頭を振つてみた。
音はやんだ。
音がやんだ後で、信吾ははじめて恐怖におそはれた。死期を告知されたのではないかと寒けがした。」
川端先生とは、約一月に一回位、逢っていました、なぜかというと、先生の自宅入り口に、消防出張所があり、そこに勤務していたからです。そこに先生が、女性週刊誌を持って来て、これ読むかと言ってぶっ気ら棒に、渡すので、はい読みますといっていただきました、おかいしにお茶をごちそうしたことあります。