北条高時 腹切りやぐら
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北条高時 腹切りやぐら
(ほうじょうたかとき はらきりやぐら)
鎌倉幕府滅亡の地、凄みのある場所です
北条高時の腹切りやぐらとして有名な場所です。倒幕軍に追いつめられ、高時を始め北条一族、幕府の主要御家人など数百人が自害しここに鎌倉幕府は滅亡しました。
エリア大町・小町
住 所鎌倉市小町(祇園山ハイキングコース、小町側出入口付近)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分
鎌倉幕府、北条得宗家滅亡の地として、落武者の姿が見えたとか子供の頃からいわゆる霊的な噂が絶えない場所です。噂の真偽はさておき、大変凄みのある場所であることは確かです。撮影のために久しぶりに訪れ、平日のため誰もいない腹切りやぐらと向き合うと子供の頃には感じなかった凄みを感じました。
元弘元年(1331年)、後醍醐天皇は倒幕の兵を挙げます。護良親王や楠木正成がこれに応じて挙兵。一度は幕府軍に敗れ、後醍醐天皇も捕らえられてしまいますが、潜伏していた護良親王、楠木正成が翌元弘2年(1332年)に再び挙兵、倒幕の流れは全国に波及、赤松則村、足利尊氏、新田義貞などが倒幕軍に加わり、幕府軍を鎌倉に追いつめます。元弘3年(1333年)5月22日、いよいよ最期を悟った北条高時を始めとした北条一族、幕府の残党800余人は東勝寺へと逃げ込み、この地で自害しました。
中高生あたりで読んだ『太平記』を思い出し、確かそこには何百人もの人が自害したと書かれていたように思い出します。浄明寺地域の山から多数の人骨や五輪塔などが出土し、東勝寺合戦の史実が確かめられています。
1331年(元弘元年)、後醍醐天皇は倒幕の兵を挙げます。一度は幕府軍に敗れて捕らえられるものの楠木正成の挙兵などにより再度御印を掲げ、幕府軍を鎌倉に追いつめます。
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明らかに史実と違っているのでは?
コメントありがとうございました。確かにわかりずらい表現のように思いましたので、説明を追加しました。お気づきの点などは今後とも御指導頂ければ幸いです。