六地蔵
目 次
六地蔵
(ろくじぞう)
処刑された者たちの霊を弔う六地蔵
六地蔵交差点には、六地蔵が祀られかつて付近にあった刑場において処刑された者たちの霊を慰めます。長谷、大町、名越、由比ヶ浜、鎌倉駅などに至る道が交差する地点でもあります。
エリア由比ヶ浜・材木座
住 所鎌倉市由比ヶ浜1丁目付近(六地蔵交差点側)
アクセス「鎌倉駅」裏駅(西口)下車、徒歩8分。
六地蔵交差点には、六地蔵が祀られかつて付近にあった刑場において処刑された者たちの霊を慰めます。長谷、大町、名越、由比ヶ浜、鎌倉駅などに至る道が交差する地点でもあります。
神奈川県鎌倉市由比ガ浜1丁目
海蔵寺から和田塚を抜けて由比ヶ浜に抜ける今大路と下馬から長谷寺を繋ぐ長谷小路が交差する「六地蔵交差点」の近くにその名のとおり六地蔵があり、地名ともなっています。
今大路を鎌倉方面に歩くと御成小学校前あたりに鎌倉時代、問注所があり、六地蔵の少し北あたりには鎌倉時代の刑場があったといわれています。処刑された罪人たちの霊を慰めるために里人たちが六地蔵を祀ったのが始まりでした。その後、少し離れた現在の辻に移されたそうです。
六つの御地蔵様を祀る六地蔵は、仏教の六道を象徴したものです。六道は迷いあるものたちが輪廻する六つの世界、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道を指します。この中で唯一仏性と出会える人間道において、何かの理由から処刑された者たちが再び六道を経て煩悩から解き放たれることを願っていまでもこの場所に佇んでいます。
設置された石碑には「飢渇畠」と記されています。「けかちばたけ」と読みます。かつてこの辺りが荒れ地であり、そこに罪人供養のための六地蔵が祀られたことが刻まれています。隣には松尾芭蕉の句碑が建ちます。風雨によって削られほとんど読むことはできませんが、芭蕉が奥州で詠んだ「夏草やつはものともが夢の跡」が刻まれています。この碑は鎌倉の雪ノ下にて旅館「吾妻屋」を営んでいた松尾百遊(本名、瀧右衛門)が天明6年(1786年)に建てました。百遊は明治の廃仏毀釈によって壊された鶴岡八幡宮の別当寺院の一つ、等覚院の目代を務め、鎌倉絵図なども出版していたようです。
右側面には「此札はたれにいふべき清水哉 東武独庵買明」と刻まれています。作者の買明は江戸神田和泉町に住んだ俳人であり別号を独歩庵といいました。
「夏草や」は中尊寺を訪れた芭蕉が詠んだ句です。鎌倉とは直接関係のない句であると鎌倉市教育委員会は看板に書いていますが、奥州藤原氏が源頼朝の「鎌倉」によって滅ぼされたことを考えると、史家が「直接関係ない」といおうとも、そこに何かを感じるのは受け手の勝手次第でしょう。