佐々木高綱

(ささき たかつな 1160-1221?)

語り継がれる宇治川の先陣争い

『国史大図鑑』の佐々木高綱像(1932)。

『国史大図鑑』の佐々木高綱像(1932)。

『宇治川先陣争図』。梶原景季を追い越した佐々木高綱が川底の縄を切りながら渡河する場面。

『宇治川先陣争図』。梶原景季を追い越した佐々木高綱が川底の縄を切りながら渡河する場面。

近江源氏佐々木氏の4兄弟

源頼朝に側近として仕えた佐々木4兄弟の四男。父は佐々木秀義。宇多天皇を祖とする宇多源氏の佐々木氏は近江国を領地としたことから近江源氏とも呼ばれました。平治の乱(1159年)において源義朝が敗れるとこれに従った父秀義はじめ兄弟の定綱経高盛綱が関東へと落ち延びますが幼い高綱は京都に残って育てられました。

1180年(治承4年)源頼朝の挙兵に際しては定綱、経高、盛綱とともに4兄弟ともども加わりました。高綱は頼朝挙兵の戦いにおいて伊豆国目代山本兼隆を討ち取り、石橋山の戦いにおいても奮戦し、頼朝を救います。

宇治川の先陣争い

佐々木高綱と梶原景季(景時の子)が宇治川の戦いにおいて先陣を争った伝説はいまに語り継がれています。

1183年(寿永2年)7月25日、平氏は木曽義仲に攻められ都落ちします。都を制圧した義仲は徐々に朝廷と対立し、後白河法皇は源頼朝に義仲追討を命じます。これに先立って後白河法皇より東海道、東山道(東国)の支配権を得た頼朝は、弟範頼義経を大将とする義仲追討軍を派遣します。

義仲追討軍に加わった佐々木高綱と梶原景季は源頼朝が持つ名馬、生食(いけづき)を所望します。最初は景季が頼朝の元へと参じますが生食を得ることはできず、かわりに磨墨(するすみ)を下されます。

その後に高綱が頼朝から生食を下されたことを知った景季は、高綱を討ち自害しようとするが、これを察知した高綱は景季に「生食は盗んだもの」と伝えたため、景季は思いとどまります。

1184年(元暦元年)1月20日、宇治川を挟んで義仲軍と頼朝軍は対峙します。名馬を得て先陣を狙う高綱と景季。川底には渡河防止の縄が張り巡らされていました。縄を切りながら先に進む景季に対して、高綱は馬の腹帯が緩んでいると声を掛け、その隙に高綱は景季を抜き去り先陣をとりました。戦は頼朝方の勝利となり義仲は討ち取られました。時に高綱は25歳。

活躍と出家

治承・寿永の乱を通じて功を挙げた高綱は長門、備前の守護となり他にも各地に領地を拝領します。頼朝の信頼も厚い名将でしたが1195年(建久6年)、家督を嫡子重綱に譲り高野山において出家し西入(さいきゅう)となりました。その後全国を行脚した高綱は親鸞上人と出会い了智と名乗りました。

出家時の高綱は36歳。現代より寿命が短かったとはいえ、男盛りの頃でしょう。功績、武名、家柄などすべてにおいて日本を代表する武将の一人であり、時代は鎌倉全盛。出家の原因は定かではありませんが、高綱の残した歌などから、権力争いや嫉妬に迷いを持っていたことが伺われます。

了智となった高綱は信濃の松本において布教したといわれており、長野県松本市島立にある正行寺(長野県松本市島立4858)は了智(高綱)が開基し、現在でもその子孫が住職(27〜28代続く)を務めています。近くには公募によって名付けられた「高綱中学校」があり、高綱がいまでも地域の人々の敬意を集めていることがわかります。

高綱は1221年(承久3年)信濃の松本において死去し墓は正行寺近くにあります。長門国守護であった頃に縁がある子孫の一人、長州出身の陸軍元帥、乃木希典が参拝したという話が伝わります。

佐々木高綱ゆかりの正行寺、一度は訪れてみたい名所です。

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