巽神社
目 次
巽神社
(たつみじんじゃ)
平安時代、武の象徴であった二人の大将軍
坂上田村麻呂、源頼義ゆかりの神社です。今大路、寿福寺より少し鎌倉駅寄り、通りの反対側にぽつんと神社があります。この地味な神社に平安の武の象徴的存在である二人の大将軍が深く関わっています。
エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市扇ガ谷1-9-7
主祭神津日女生命、奥津日子命、火産霊命
創 建801年
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩7分
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目9−7
鎌倉駅裏駅を出て市役所前交差点を横切るのが今大路です。この路を右に曲がりしばらく歩くと右手にこじんまりとした神社があります。どこにでもある村の社にみえますが、平安時代の武の大将軍、坂上田村麻呂と源頼義ゆかりの神社です。
坂上田村麻呂(758-811)は奈良時代後期から平安時代前期に武人として活躍し、文の菅原道真とともに、武の象徴的な存在となりました。
801年(延暦20年)、いまから1213年もの昔、坂上田村麻呂は征夷大将軍として陸奥国の蝦夷を降し、現在の岩手県奥州市に胆沢城(いさわじょう)を、同じく岩手県盛岡市に志波城(しわじょう)を築きました。
その東征の際、奥津日女生命、奥津日子命、火産霊命を葛原岡(源氏山)に勧請したのが、巽神社の始まりといわれています。源頼朝から4代前の河内源氏の棟梁、源頼義が前九年の役(1051-)の3年前である1048年(永承4年)に社殿を改築しました。
その後、葛原岡から現在の地に移され寿福寺の鎮守神として敬われ、寿福寺の巽の方角にあることから巽神社と改称されました。浄光明寺の管轄を経て明治時代に村社に列せられました。
坂上田村麻呂、源頼義とともに大将軍として東征した際に鎌倉にゆかりを持っています。鎌倉が古より東国支配の拠点であったことを改めて認識させてくれます。