大倉幕府跡
目 次
大倉幕府跡
(おおくらばくふあと)
頼朝が建てた鎌倉政務の中心
鎌倉入りした源頼朝は大倉郷に御所を新造し、公文所、問注所も設置しここに幕府政務機能を集中させます。以後頼家、実朝と源氏3代の将軍のこの場所において政務を行いました。
エリア北東
住 所雪ノ下3丁目
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分
大倉幕府跡の石碑は頼朝の墓から少し金沢街道に向かって歩いた場所にあります。
鎌倉幕府の所在地は3か所あります。頼朝が開いた大倉幕府(1180-1225)、実朝死後、4代将軍藤原頼経が執務した宇都宮辻子幕府(1225-1236)、4代将軍藤原頼経から最後の9代将軍守邦親王まで続いた若宮大路幕府(1236-1333)の3つです。
大倉幕府跡は、鶴岡八幡宮の北東一帯の地域にあったと思われます。大倉幕府跡の石碑は頼朝の墓から少し金沢街道に向かって歩いた場所にあります。そこを中心に、東御門、西御門、金沢街道に囲まれた地域に、将軍御所、公文所、問注所など幕府の主要施設が置かれたと考えられています。
1180年(治承4年)12月12日、頼朝は新造された大倉郷の館に入ります。御家人311人が従う壮大なものであり、「鎌倉殿頼朝」誕生の日ともいえる歴史的な出来事でもありました。以後、頼朝、頼家、実朝と源氏将軍3代がこの幕府において政務を行いました。