小山朝政

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小山朝政

(おやま ともまさ 1158-1238)

鎌倉草創期の危機を救う

 小山政光の子。藤原秀郷を祖とする小山氏当主。下野国小山を本拠とした。父の政光が源頼朝の乳母であり頼朝配流中も援助を惜しまなかった寒川尼を後妻に迎えた縁から、頼朝の挙兵に早くから従った。鎌倉へと入った頼朝だったが未だ平氏の力は健在であり1181年(寿永2年)2月、後白河上皇により頼朝追討の院宣が下されると、頼朝の伯父である常陸の志田(源)義広が平氏方につき3万騎をもって鎌倉へと出陣。下野国に至った義広は朝政にも参加を求める。朝政は参陣の返事で油断させた上に奇襲を加え鎌倉から応援に駆けつけていた弟の宗政や政光とともに義広を討ち取るという活躍を見せた。その後も治承・寿永の乱における多くの合戦において武功を挙げ頼朝の信任厚い有力御家人となる。頼朝死去後も権力争いを生き抜き、北条泰時執権時代まで挙兵以来の宿老として幕府を支え続けた。1238年(嘉禎4年)84歳の長寿を全うした。

『前賢故実』の小山朝政。

『前賢故実』の小山朝政。

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