小林秀雄

(こばやし ひでお 1902-1983)

鎌倉に長く住んだ孤高の名批評家

日本近代批評の確立者といわれる小林秀雄は、批評というのは感性を広げてくれるのだと教えてくれた希有な存在です。明治35年(1902年)東京に生まれた小林秀雄は、大正10年(1922年)に母の病気療養のため鎌倉に過ごしたことを契機に昭和6年(1931年)より鎌倉に住みます。

同年、母とともに鎌倉町佐介通208番地(当時、以下同)、昭和7年(1932年)同 雪ノ下413番地、昭和8年(1933年)同 扇ヶ谷391番地、長野出身の森喜代美と結婚した昭和9年(1934年)5月、同 扇ヶ谷403番地に新居を構えます(山の上の家)。時代は下り、昭和51年(1976年)鎌倉市雪ノ下1-13-20に転居。昭和58年(1983年)3月1日、腎不全により死去(享年80歳)するまでここに住みました。葬儀は密葬、北鎌倉の東慶寺にて行われました。

小林は「鎌倉文庫」の活動に参画するなど鎌倉文士と呼ばれる人々の中心的存在の一人として活躍。『ドフトエフスキイの生活』『無常といふこと』『モオツアルト』『ゴッホの手紙』『近代絵画』『本居宣長』など数々の名作が鎌倉、特に長く住んだ扇ヶ谷の「山の上の家」からうまれました。

作品に鎌倉が登場することは少ないものの、「中原中也の思い出」や「実朝」などに鎌倉が登場します。山の上の家は、鶴岡八幡宮三ノ鳥居を過ぎて鎌倉街道を北鎌倉方面へと登り、右手に入って急坂を登ったあたりにあります。かなりの登りですから、晩年は雪ノ下に移ったということも頷けます。

食にも鋭敏だったため鎌倉やその周辺にもその足跡が残っています。小林秀雄長女の白州明子さんは『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社刊)に思い出を語っています。「父は美味しいものをたべるのも大好きでした。といっても特に贅沢だったわけではなく、いわゆる「グルメ」といわれる人たちとは、まったく対極にあったようです。」

この本には、贔屓の店もいくつか紹介されています。小町通りの天ぷら「ひろみ」、葉山の「如雪庵一色」、辻堂の「うな平」などです。葉山の「如雪庵一色」はとても美味しいお店でしたが2013年(平成25年)に残念ながら閉店してしまいました。辻堂の「うな平」は辻堂駅から徒歩20分ほどかかりとてもわかりにくい場所にあります。それでも小林は一人で電車に乗ってふらっといったそうです。ミシュランか何かで星がついたとか聞いています。きっと混んでいるだろうと最近はいっていませんが、そろそろ様子を見にいこうかと思っています。「ひろみ」はいまも小町通りにあります。

新潮社刊、小林秀雄全集より

新潮社刊、小林秀雄全集より

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