江ノ島/江島神社 第1回 江ノ電「江ノ島駅」~表参道~辺津宮
目 次
第1回 江ノ電「江ノ島駅」~表参道~辺津宮
(えのしま/えのしまじんじゃ)
1450年前に開かれた霊場。源頼朝、役小角、弘法大師、日蓮にもゆかり
欽明天皇13年(西暦552年)、岩屋に神を祀ったことから始まる霊場。修験道の開祖 役小角、弘法大師、日蓮、一遍など名だたる人物が修行の場としました。文覚が源頼朝の奥州戦勝祈願に弁財天を勧請してより「江ノ島弁財天」(金亀山 与願寺)として信仰され、明治の廃仏毀釈以降、金亀山与願寺から宗像三女神を祀る現在の「江島神社」となりました。
エリア藤沢・江ノ島
住 所藤沢市江ノ島
祭 神辺津宮(へつみや/田寸津比賣・たぎつひめのみこと)、中津宮(なかつみや/市寸島比賣命・いちきしまひめのみこと)、奥津宮(おくつみや/多紀理比賣命・たぎりひめのみこと)
創 建552年(聖地としての江ノ島)、1182年(寿永元年、金亀山 与願寺)、1873年(明治6年、江島神社)
開 基欽明天皇、文覚(源頼朝)
アクセス江ノ電「江ノ島駅」、小田急線「片瀬江ノ島駅」、湘南モノレール「湘南江の島駅」下車、各徒歩15分
1182年に源頼朝の藤原秀衡調伏祈願のために文覚が勧請した八臂弁才天や裸弁天といわれる妙音弁財天が安置されています。江ノ島は元々現在の江島神社ではなく、明治の廃仏毀釈まで永きに渡り神仏習合の神宮寺、金亀山与願寺でした。大流行した江戸の江ノ島弁財天詣もまた、源頼朝起源の弁財天を目指したものですから、1450年前最初に神が祀られた岩屋とこの弁天様が江ノ島詣の核心です。
〒251-0036 神奈川県藤沢市江の島
〒251-0036 神奈川県藤沢市江の島
神奈川県藤沢市江の島
神奈川県藤沢市江の島
神奈川県藤沢市江の島
神奈川県藤沢市江の島1丁目4−16
〒251-0036 神奈川県藤沢市江の島
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸1丁目11−22 紀伊国屋旅館
神奈川県藤沢市片瀬海岸1丁目9−12
神奈川県藤沢市片瀬1-9-12
江ノ島駅(神奈川)
第1回 江ノ電「江ノ島駅」~表参道~辺津宮
江ノ電「江ノ島駅」を降りて、昔ながらの参道を歩いて江ノ島へ。江ノ電、江ノ島、弁天様。最初から最後まで江ノ島詣の気分を味わえるのがいいところです。
江ノ島のはじまりは1450年の古
江ノ島の霊場としてのはじまりはいまから約1450年の古、552年、欽明天皇の御台に「島南の洞窟(岩屋)に神様を祀った」ことを縁起としています。聖徳太子より前の時代、仏教が日本に入る以前のお話です。
島全体が聖地となっており、主に3つの宮があります。現在は手前から辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)、奥津宮(おくつみや)と呼ばれ、明治の廃仏毀釈以降は宗像三女神といわれる三女神を祀っています。これは、福岡県宗像市の宗像大社に祀られている三柱の女神の総称です。
明治35年開業の江ノ電「江ノ島駅」
江ノ島には、江ノ電、小田急、湘南モノレールと3つの線が乗り入れています。筆者は鎌倉が地元のため、多くは江ノ電を使います。今回の江ノ島詣(全5回)も江ノ電「江ノ島駅」から始まります。
江ノ電「江ノ島駅」は江ノ島電鉄開業の1902年(明治35年)に片瀬駅として開業し、1929年(昭和4年)に江ノ島駅と改称しました。「鎌倉駅」から「江ノ島駅」間を23分、「藤沢駅」から「江ノ島駅」間を10分で繋ぎます。江ノ島電鉄の登記上の本社所在地でもあり、全線を管轄しています。
駅は江戸時代の江ノ島弁財天詣と同じ旧街道上にあるため、杉山検校が寄進した「江ノ島弁財天道標」がみられます。杉山検校(和一/1610-1694)は、鍼の施術法である管鍼(かんしん)法の創設者。鍼・按摩技術の取得を目的とした世界初の視聴覚障害者のための教育施設「杉山流鍼治導引稽古所」を開いた人物です。検校は、江ノ島にある「福石」につまずいた際に竹筒と松葉が身体に刺さり、そこから管鍼法をひらめいたといわれ、「福石」は現在も残ります。
旧街道は現在の藤沢市片瀬町をとおります。藤沢市立片瀬小学校あたりから江ノ電「江ノ島駅」を抜けて江ノ島に向かうと旧道の雰囲気を感じることができます。上諏訪神社、密蔵寺、本蓮寺、常立寺などの寺社があり、検校の「江ノ島弁財天道標」もいくつかあります。
江ノ電「江ノ島駅」から江ノ島までは橋をわたって約15分。国道134号線の下をくぐり正面に江ノ島、左右に海をみながら歩きます。
表参道、辺津宮
橋を渡り終えると1747年(延亨4年)に創建された「青銅の鳥居」がみえてきます。ここからゆったりと上り、左右に土産物店や飲食店が並びます。子供の頃はかなり呼び込みが激しかったのですが、現在は自粛されています。
階段を登り1986年(昭和61年)に造られた瑞心門を抜けると急な石段があり、「男坂」と呼ばれます。瑞心門前の朱の大鳥居から辺津宮にいたる道は「表参道」といいます。市民も生活道に使う「裏参道」は「女坂」といいますが、これは見物の際には普通通らないでしょう。
男坂を上ると現れる社が辺津宮(へんつぐう)です。1206年(建久元年)に鎌倉幕府第3代将軍源実朝が良真上人の願いを受け入れて建立しました。本殿は幾度か改修、再建され現在の社殿は1976年(昭和51年)に造られたもの。創建当時は下の宮と呼ばれていました。
明治の廃仏毀釈により破壊されてしまいましたが(後述/第5回)、それまでは護摩堂や三重塔もこのあたりにありました。辺津宮の左手には1970年(昭和45年)に建てられた泰安殿(弁天堂)があります。堂内には、文覚上人が源頼朝の藤原秀衡調伏祈願のために勧請した八臂弁財天像や「裸弁天」といわれる全裸体の妙音弁財天などの宝物が安置されています。
この弁天様こそが、「江ノ島の弁天様」です。江ノ島といえば江戸時代に流行した「江ノ島詣」以来のイメージです。これは源頼朝ゆかりの弁天様をお参りすること。明治の廃仏毀釈により神道の神社となっていますが、これは霊場江ノ島としての長い歴史の中では最近の出来事といえるでしょう。
(第2回「中津宮」に続く)
第1回江ノ電「江ノ島駅」~表参道~辺津宮
第2回中津宮
第3回奥津宮、山二つ
第4回稚児ケ淵、岩屋
第5回江ノ島 神仏の変遷、廃仏毀釈