誕生寺
目 次
誕生寺
(たんじょうじ)
日蓮の生誕地に建てられた日蓮宗霊跡寺院、大本山誕生寺
鎌倉が好きなら、日蓮は気になる人です。日蓮生誕800年を数年後に控えて、日蓮宗に7つある大本山の一、霊跡寺院・誕生寺に参拝しました。
エリア千葉
住 所千葉県鴨川市小湊183
宗 派日蓮宗
本 尊十界本尊木像
創 建建治2年(1276年)、日家
アクセスJR外房線「安房小湊駅」より、鴨川日東バス「誕生寺・鯛の浦」下車。もしくは同駅から徒歩20分
公式HPhttp://www.tanjoh-ji.jp/
〒299-5501 千葉県鴨川市小湊183
日蓮が鎌倉入りした道順を逆に辿って、誕生寺へ。
「鎌倉」にゆかりの深い日蓮の足跡を訪ねて、千葉県鴨川市小湊へ。鎌倉について一度でも総合的に考えた事のある人なら、日蓮は気になる人となるはずです。家族旅行の合間に長狭街道、清澄寺、誕生寺、天津神明宮と取材をしつつ、2泊3日の旅となりました。他にもいくつか取材すべき場所はあるものの、この程度が適量。写真を撮るだけなら機械頼みで簡単ですが、書くことを考えるとこんなものです。訪れた誕生寺では生誕800年が平成33年(2021年)2月16日に迫り、祝賀ムードが漂っていました。
房総半島はすごい土地です。その大きさ、豊かさは伊豆半島と房総半島に挟まれた小さな三浦半島に住んでいると実感深いものがあります。平将門や房総平氏の祖、平忠常らが乱を起こせたのも、房総半島の豊かさと無縁ではないでしょう。その豊かさと素朴さが気に入って千葉にはよく旅に出かけますが、房総半島に渡る際には、かつて三浦一族、千葉氏、上総氏も往来した海路、フェリーを利用します。
車で外房黒潮ラインを走りから、その名も「日蓮交差点」を右折します。「誕生寺・鯛の浦」の看板は小さいのですが、交差点名がわかりやすいため、間違いませんでした。後は少し走ると誕生寺の総門が見えてきます。
日蓮は貞応元年(1222年)2月16日、ここ誕生寺のある小湊に漁師の子としてうまれ、誕生寺の近くにある清澄寺に入門、京都、奈良などに遊学ののち清澄寺に戻り、悟りを開いて立教開宗しました。
誕生寺は日蓮の弟子である日家(にけ、1258-1315)により、建治2年(1276年)、日蓮誕生の地である小湊に開かれました。日家は、元永元年(1264年)、日蓮が母危篤のため小湊に戻った際に滞在した興津の領主、佐久間重貞の子です。自宅に招いた日蓮の説法を聞き、日蓮に帰依した重貞は息子の長寿麿を弟子とすることとしました。これが日家です。
建治2年(1276年)は激動の時代です。文永弘安の役という二度に渡る蒙古による日本侵略の間に位置しています。2年前の文永11年(1274年)に文永の役が起こり、日蓮は佐渡流罪から赦免となって今日も日蓮宗の総本山である身延山久遠寺を開きます。さらに、弘安4年(1281年)には再度の蒙古襲来、弘安の役が起こります。幸いにして2つの侵略行為ともに、時の執権・第8代北條時宗以下、団結した日本の武士団により元は日本に負け、撤退しています。神風のおかげと言う人がいますが違います。そういう嘘は大東亜戦争と似ています。
日蓮宗霊跡寺院、大本山誕生寺
日蓮宗の霊跡寺院である誕生寺は鴨川市小湊、港のすぐ隣にある大きなお寺です。霊跡寺院とは、由緒寺院とともに「日蓮聖人一代の重要な遺跡及び宗門史上顕著な沿革のある寺院」であり、中でも大本山の称号を用いているのは、誕生寺(千葉)、清澄寺(千葉)、中山法華経寺(千葉)、北山本門寺(静岡)、池上本門寺(東京)、妙顕寺(京都)、本圀寺(京都)の7寺院となっています。
誕生寺は、上述のように建治2年(1276年)10月、日蓮の生家跡に日家により建立されました。最初の建立地は明応7年(1498年)、元禄16年(1703年)と二度の大地震・大津波に遭い海中に没してしまいました。現在では蓮華ヶ淵として遊歩道が整備され、境内から引き続き散策することができます。その後現在の地に移されたといいますが、蓮華ヶ淵あたりからということになると、すぐ近くです。
その後、26代目の日孝の時代に、水戸家の庇護を得て七堂伽藍を再興して小湊山誕生寺と改称しました。しかし、宝暦8年(1758年)には大火により仁王門以外、全山を焼失。49代日蘭が弘化3年(1846年)に祖師堂を再建します。時代は下り、昭和から平成にかけて諸堂が復興され、現在の姿となりました。
水戸家の庇護、というのは鎌倉にもゆかりの深い水戸光圀(1628〜1700)を指しています。テレビ時代劇で水戸の御老公・黄門様として親しまれた光圀は、鎌倉を見聞した後、『新編鎌倉志』という書物をつくらせており、その後の鎌倉関連本に多くの影響を与えた元祖鎌倉ガイドともいえるものです。
光圀は日蓮宗の高僧と交流があり、その中に誕生寺26代目の日孝がいます。日孝の漢詩や文章を弟子の日心がまとめた『水雲集』には「常陽西山公を訪う」、「大守駕を賜て勝地を遊覧す、詩もって謝を伸ぶ」といった文言が多く出てくるそうです。常陽西山公、大守というのは光圀を指します。
境内の主な見所
総門・仁王門
総門を入ると大きな「小湊山」の額がかかる立派な仁王門が見えてきます。境内の参道には日蓮生誕800年にあわせてでしょうか、美しい灯籠が並びます。この仁王門は宝永3年(1706)に建立され、平成3年(1991年)に大改修されました。千葉県指定文化財となっています。間口8間。宝暦年間の大火の際焼け残った最古の建造物です。両側の仁王尊は上総の仏師松崎右京大夫法橋作。楼上の般若の面は左甚五郎作と伝えられています。
誕生水井戸
総門と仁王門の間には誕生水井戸があります。日蓮が産湯に使った井戸です。貞応元年(1222年)2月16日、午前11時〜午後1時の間に日蓮はうまれました。その際、周辺ではにわかに清水が湧き出したといいます。生家は江戸時代の大地震により海没してしまいましたが、現在地に誕生寺が再建されると、当地にも清水が湧き出したそうです。井戸枠や石柱は寛永十年代(1633〜1642)に造られたものです。
高僧には井戸や清水にまつわる逸話が多くありますが、日蓮も同様です。鎌倉にも鎌倉入りした日蓮が喉の渇きを覚えると水が湧き出たという日蓮乞水が残されています。
鐘楼
仁王門を抜けると右側に鐘楼があります。
日蓮聖人御幼像
仁王門と祖師堂の間には、日蓮聖人ご幼像があります。昭和10年(1935年)に建立されました。この地に漁師の子としてうまれた日蓮は善日麿といい、清澄寺に入門するまでの12年間を親元で過ごしました。利発を感じさせる立ち姿のこの像は、12歳の日蓮を摸(うつ)したものです。大東亜戦争を清澄寺同じ鴨川市の山中にある清澄寺には悟りを開き立教開宗した32歳の立派な日蓮像があり、昨日はそちらも参拝していたため、双方をみることができました。
誕生堂
日蓮聖人御幼像の奥から道を上ると誕生堂があります。誕生堂には日蓮の幼い像が安置されています。小型の坐像であり、帯刀しているそうです。日蓮の両親は近くの妙蓮寺に墓地がありますが、誕生堂にも両親が祀られています。日蓮の生誕日である2月16日には毎年、誕生会大法要が行われます。両親の墓がある近くの妙蓮寺から誕生寺まで大勢の僧侶や信徒を従え、この幼像が徒御(とぎょ)します。誕生寺というお寺らしい法要だと思います。ぜひ一度みてみたいものです。
太田堂
鎌倉、英勝寺のある場所に屋敷のあった、江戸城の開祖、太田道灌を輩出した太田氏ゆかりのお堂。法華経の信仰者を守護する太田稲荷大明神が祀られています。誕生寺は、太田道灌の曾孫で膂力他に優れるといわれた新六郎康資の墓所でもあります。特に海上安全守護に霊験があらたかであるといわれています。
鯛塚
日蓮誕生の時に起こった三つの奇跡、三奇瑞の一つ、妙の浦(鯛の浦)の鯛を供養する墓です。日蓮がうまれた時、生家の前に広がる海に轟音とともに五尺(1m50cm)以上もある雄雌二匹の鯛が飛び跳ねました。その後もお七夜の日まで毎日やってきて聖人の誕生を祝ったといわれています。妙の浦の鯛は、聖人の化身とか使者であるといわれ、昭和42年(1967年)には特別天然記念物に指定され、現在でも禁漁が守られ大切に保護されています。
祖師堂
10年の歳月をかけて弘化3年(1846年)に完成しました。日蓮宗では日蓮聖人像を安置する祖師堂は最も神聖な場所です。生誕地の祖師堂にふさわしく総欅造り雨落ち18間4面、高さ95尺(約29m)という立派な建物です。
平成3年(1991年)祖師堂に安置された聖人像を修理する為に解体したところ、胎内より貞治2年(1363年)、4代日静筆の古文書と薬草が発見されたそうです。ということは、今から600年以上前の造立ということになります。また、古文書には日蓮誕生の時と所が記されていたそうです。
聖人像を安置する御宮殿は明治皇室大奥の御寄進。堂内右側の天井に南部藩の忠臣相馬大作筆による天女の絵が描かれています。堂内の天蓋(てんがい)等の仏具類は明治天皇御生母中山慶子一位局や、大正天皇御生母柳原愛子一位局による御寄進です。立派なものです。
龍王堂
龍王堂には法華経の守護神である八大龍王が祀られています。八大龍王は仏教を守護する天龍八部衆の一つである龍族です。龍王堂では、正月、5月、9月の18日に八大龍王の縁日として大祭が行われます。法楽加持が行われた後、参詣者は海上安全・大漁満足・家内安全などの祈祷を受けてお札を頂きます。
日蓮の足跡
源頼朝の活躍した時代、東海道は東京を通らず、横須賀市の走水などから海路にて房総半島に渡りました。そのため、地図でみると下にあっても東海道上では先に通る地域が上総、上にあっても後に通る地域は下総となりました。
日蓮もまた、誕生寺のある生誕地(千葉県鴨川市小湊)付近から、内房へと至り、ここから海路を三浦半島、現在の横須賀市に上陸します。横須賀の三笠公園からよくみえる猿島にも日蓮の足跡が残っています。
その後は恐らく現・県道27号を不入斗、池上十字路、葉山に入って「高祖井戸・高祖坂」の残る木古庭、葉山大道で現・国道134号に入り、逗子から名越切通しを越えて鎌倉へと入ったでしょう。
日蓮略年表
◎1222年(貞応元年) 安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市小湊)において日蓮誕生。
◎1233年(天福元年) 日蓮、清澄寺に入門。師は道善。
◎1238年(暦仁元年) 日蓮、出家。「是生房蓮長」と名乗ります。
◎1245年(寛元3年) 日蓮、比叡山に遊学。
◎1246年(寛元4年) 日蓮、三井寺へ遊学。
◎1248年(宝治2年) 日蓮、薬師寺、仁和寺、高野山へ遊学。
◎1250年(建長2年) 日蓮、天王寺、東寺へ遊学。
◎1253年(建長5年) 日蓮、清澄寺に戻る。4月28日早朝、清澄寺の旭が森から朝日に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えて悟りを開き立教開宗。伝法灌頂を受けます。時に日蓮32歳。
◎1254年(建長6年) 清澄寺を下山し、鎌倉へ。辻説法を始めます。