2014年5月10日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 六地蔵 六地蔵交差点には、六地蔵が祀られかつて付近にあった刑場において処刑された者たちの霊を慰めます。長谷、大町、名越、由比ヶ浜、鎌倉駅などに至る道が交差する地点でもあります。
2014年5月9日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 太田道灌屋敷跡 太田道灌屋敷跡。英勝寺の地は、かつて摂津源氏の流れをくむ扇ガ谷上杉家の家宰、太田道灌の屋敷でした。室町後期を代表する名将であり、江戸城を築いたことでも知られています。
2014年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 三浦大介腹切の松 三浦大介腹切の松。1180年(治承4年)、源頼朝の挙兵に加わった三浦氏の当主、三浦義明は衣笠城合戦に敗れこのあたりにあった松の下で自害したと伝わります。
2014年3月19日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 三浦一族ゆかりの地 源頼朝による武威の王国「鎌倉」創成にとって三浦氏は大きな力となりました。三浦氏の祖、村岡(三浦)平太夫為通は源頼義に従って前九年の役を戦った功により1063年(康平6年)源頼義より三浦の地を与えらたことから三浦姓を名乗り、衣笠城を築きました。史跡は鎌倉、横須賀、三浦など三浦半島一帯に広く点在しています。
2014年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 三浦 和田城址 三浦義明の孫、和田義盛は弓の達人として源頼朝挙兵以来数々の戦功を挙げ、鎌倉の武の長である侍所別当となりました。同時代、三浦の当主は義村、和田は義盛。義村は和田合戦において生き残るために義盛を裏切ります。もしこの時義盛と義村、三浦一族が団結していたら、今日の世は違った形になっていたかもしれません。
2014年3月18日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 鎌倉七切通し 鎌倉にも切通しといわれる古道があり、江戸時代に七切通しと名付けられました。古道に惹かれるというのは理屈抜きの本能的なものがあり、自分の遺伝子に触れているような感触があります。
2014年3月17日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 源氏ゆかりの地 源頼朝を生んだ清和源氏のメジャー、河内源氏。一般的に源氏といえば河内源氏を指すほど日本の歴史において大きな役割を果たしています。源頼朝、頼家、実朝という3代は別に記事をつくるため、主にそれ以外の源氏ゆかりの地を掲載します。
2014年3月14日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 三浦 和田義盛旧里碑 鎌倉から逗子、葉山を過ぎて海岸線を約20km下った三浦市初声町和田に和田義盛旧里跡があります。源頼朝とともに挙兵し数々の戦功を重ねた勇者、和田義盛の本拠地です。三浦義明の孫として生まれた義盛は和田の地を領地としたことから和田を名乗りました。
2014年3月12日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 虚子庵址 長閑な由比ケ浜、江ノ電の線路沿いに建つ虚子庵址。鎌倉に住んだ最初の文士ともいわれており、東京にある「ホトトギス」発行所へは電車で通ったそうです。