上総広常
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上総広常
(かずさ ひろつね ? – 1184)
東国の最大勢力として頼朝挙兵を助ける
上総常澄の子。房総平氏の当主。上総介(上総国府の長)として上総、下総を治めた東国最大の勢力。源頼朝の父は東国に派遣され上総御曹司と呼ばれたように源氏との関係は深く、先祖の平常長は源頼義、義家に従い前九年の役、後三年の役を戦い、広常も保元・平治の乱において義朝とともに戦った。石橋山の戦いに敗れた頼朝が安房国において再起を図り、広常の元に参陣を促す使者(和田義盛)が送られる。広常は上総の平氏方を平らげ2万騎の大軍を率いて頼朝のもとへ参陣した。この時広常の心中には「頼朝の器量を見極め、器量が及ばなければその場にて討とう」という「二図の存念」を持っていたが、遅参を叱咤した頼朝の毅然とした振る舞いに感心し恭順したと『吾妻鏡』は伝えている。頼朝挙兵の最大兵力として活躍した広常であったが、1183年(寿永2年)謀反の疑いにより頼朝の命を受けた梶原景時によって暗殺された。