〈巡礼〉鎌倉五山
目 次
〈巡礼〉鎌倉五山
鎌倉幕府は、禅宗を日本に本格導入しその中心地となります。五山制度は鎌倉に始まり、室町幕府第3代将軍足利義満が五山制度を現在の形としました。鎌倉が日本の中心地(首府)となっていく逞しさとともにあったことは、知っておきたいところです。
〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺3丁目8−31 浄妙寺
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内 浄智寺
〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7 寿福寺
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内 円覚寺
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内 建長寺
京都で排斥された禅宗を鎌倉幕府が庇護
※ルートガイドはこちらをご覧ください→「鎌倉五山巡礼」
「鎌倉五山」は臨済宗(禅宗)の寺院を幕府が格付けした寺格制度。京都五山とあわせて五山制度を形成しています。禅宗は鎌倉時代初期に日本に伝えられ、南宋で禅宗を学んだ臨済宗の開祖・栄西(1141-1215)が臨済宗の開祖として武家・民衆に布教しました。
純粋禅の最古は源頼朝から土地を賜って建久6年(1195年)に栄西を開山としての時代に創建された福岡の聖福寺といわれ、後鳥羽上皇より日本初の禅寺であることを意味する「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」の号を賜っています。源頼朝が土地を提供したということで、ここでも「鎌倉」の姿をみることができます。
その後、栄西は京都でも布教を続けますが、当時新しい宗派として勃興していた禅宗は京都では排斥されたため、鎌倉幕府の庇護を求めました。幕府はこれに応じ、正治2年(1200年)北条政子が建立した寿福寺の住職として招聘し、建仁2年(1202年)には鎌倉幕府第2代将軍源頼家の庇護を受け、京都に建仁寺を創建しました。
鎌倉幕府の庇護により排斥された京都へと盛り返した栄西でしたが、寿福寺も建仁寺も禅・天台・真言の三宗兼学でした。その後、禅宗に帰依していた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(1227-1263)が南宋の僧侶、蘭渓道隆を招いて建長5年(1253年)、純粋禅の大寺院である建長寺を建立しました。ここに至って、鎌倉を中心に日本における本格的な禅宗が始まったといえます。
当時の鎌倉は、名執権北条時頼による幕府体制の盤石化により名実ともに日本の中心・首府となっており、さらに、最先端の宗派であった禅宗の中心地としても栄えたわけですから、その賑わいが想像されます。ちなみに、時頼の墓は明月院にあり誰でも参拝できます。
鎌倉幕府によって始まった五山制度が現在の形になったのは室町幕府第3代将軍、足利義満(1358-1408)によるものです。鎌倉時代は、鎌倉の寺院を中心に五山を制定していたと考えられていますが、詳細はわかりません。
室町時代に入り、足利義満が現在の形とするまでは鎌倉と京都の寺院は一緒になり、別格もありませんでした。次のような内容です。
〈昔の五山〉
- 第一位 南禅寺(京都)、建長寺(鎌倉)
- 第二位 天龍寺(京都)、円覚寺(鎌倉)
- 第三位 寿福寺(鎌倉)
- 第四位 建仁寺(京都)
- 第五位 東福寺(京都)
- 准五山 浄智寺(鎌倉)、浄妙寺(鎌倉)、万寿寺(京都)
現在の鎌倉五山
足利義満は自身の創建した足利将軍家の菩提寺である相国寺を五山に列する目的もあり、五山制度を改革しました。鎌倉と京都を分けてさらに別格上位をつくり南禅寺をそこに配しました。ちなみにその時、義満に意見具申したといわれているのが、臨済宗の高僧であり五山文学の双璧といわれた、義堂周信(ぎどうしゅうしん、1325-1388)と絶海中津(ぜっかいちゅうしん、1334-1405)です。
話は少し逸れますが、南北・室町の文学を牽引したこの二人は同郷、ともに土佐国津野(現 高知県高岡郡津野町)の出身です。その故郷を「坂本龍馬脱藩の道」取材時に訪れたことがありますので、その写真を掲載しておきます。こうして鎌倉を基点に様々な繋がりがうまれ、物事により逞しい理解と印象を与えてくれるのはブログ制作の何よりの楽しみです。
さて、話を戻し鎌倉五山です。現在の五山制度は足利義満が改革した形を踏襲し、次のような形になっています。※( )内は関連した権力者。
〈鎌倉五山〉
- 第一位 建長寺(開基:北条時頼)
- 第二位 円覚寺(開基:北条時宗)
- 第三位 寿福寺(開基:北条政子)
- 第四位 浄智寺(開基:北条師時)
- 第五位 浄妙寺(開基:足利義兼。源頼朝とともに鎌倉幕府創成に尽力した尊氏の祖先)
〈京都五山〉
- 第一位 天龍寺(開基:足利尊氏)
- 第二位 相国寺(開基:足利義満)
- 第三位 建仁寺(開基:源頼家)
- 第四位 東福寺(開基:九条道家。鎌倉幕府第4代将軍藤原頼経の父)
- 第五位 万寿寺(開基:白河上皇)
〈別格上位〉
- 南禅寺(開基:亀山法皇)
鎌倉五山に列せられた寺院について
各々の寺院についての詳細は文中の寺院名をクリック(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)していただければ詳細記事が表示されますので、そちらをご覧いただくとして、ここでは、簡単にまとめます。
◎建長寺(第一位)
執権政治の黄金時代を築いた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が南宋の僧侶、蘭渓道隆を招いて建長5年(1253年)に創建した臨済宗建長寺派の大本山。御本尊は地蔵菩薩。境内は谷の奥深く広がり、趣ある子院が点在、そのまま天園ハイキングコースへといくことができます。
◎円覚寺(第二位)
モンゴル帝国とその手先になった中国・朝鮮の侵略を二度に渡り返り討ちにした鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が双方の戦死者を弔うため、弘安5年(1282年)に創建した臨済宗円覚寺派の大本山。御本尊は宝冠釈迦如来。JR北鎌倉駅で降りればすぐ、というより駅が境内にあるという感じです。
◎寿福寺(第三位)
源頼朝の父・義朝の鎌倉屋敷があった場所に、栄西を招いて正治2年(1200年)に創建されました。山門から中門へと続く美しい参道は、人気の見物スポットとなっています。拝観は中門までしかできません。寿福寺の敷地にはかつて中原中也さんが住んでいたそうです。
◎浄智寺(第四位)
山深い静寂を感じることのできる北鎌倉の寺院。長い鎌倉石の階段はすり減り、永い歴史と往時の繁栄を偲ばせます。弘安6年(1283年)、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の三男、北条宗政の菩提を弔うため、その子の師時(実際には宗政の妻と宗政の兄・時宗)が創建しました。全山が国の史跡に指定されています。
◎浄妙寺(第五位)
五山制度を確立させた足利幕府(足利氏)ゆかりの氏寺。源頼朝とともに「鎌倉」創成のため戦った源氏の名門、足利義兼(1154-1199)により文治4年(1188年)に創建されました。義兼の屋敷もまた近くにあり、以後、足利氏は浄妙寺のある現在の浄明寺地域を本拠地としています。足利尊氏(1305-1358)もまた、ここで過ごしたことでしょう。
鎌倉五山ルートガイド
詳しいルートガイドはこちらにあります→鎌倉五山巡礼