妙長寺

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妙長寺

(みょうちょうじ)

日蓮を助けた漁師の功徳が生きるお寺、泉鏡花作品にも登場

泉鏡花が数か月滞在した材木座にある日蓮宗のお寺さんです。泉鏡花の作品にも登場します。日蓮の法難を助けた漁師の子が僧侶となり開山したと言われています。

エリア由比ヶ浜・材木座
住 所鎌倉市材木座2-7-41
宗 派日蓮宗
本 尊三宝祖師
創 建1299年
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩20分

妙長寺本堂。

妙長寺本堂。

伊豆に流罪となった日蓮は伊東沖の小岩に降ろされてしまいました。それを舟守弥三郎という漁師が助けたそうです。その弥三郎の子が開山したのが妙長寺だと伝えられています。

6分の1で造られた法難御用船。

6分の1で造られた法難御用船。


漁師らによって建立された鱗供養塔。

漁師らによって建立された鱗供養塔。

妙長寺はまた、文学史上の有名なお寺さんです。泉鏡花が明治24年7~8月の2か月に渡って滞在し、その体験を明治31年に『みだれ橋』(後に『星あかり』に改題)という作品として発表したからです。伊豆法難を救った弥三郎や泉鏡花のエピソードを実感できるのが風情といえる場所です。

泉鏡花『みだれ橋』(後に『星あかり』に改題)の該当部分です。

「もとより何故といふ理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ツばかり重かさねて臺にした。其の上に乘つて、雨戸の引合せの上の方を、ガタガタ動かして見たが、開きさうにもない。雨戸の中は、相州西鎌倉亂橋の妙長寺といふ、法華宗の寺の、本堂に隣つた八疊の、横に長い置床の附いた座敷で、向つて左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科といふ醫學生が、四六の借蚊帳を釣つて寢て居るのである。(中略)門を出ると右左、二畝ばかり慰みに植えた青田があって、向う正面の畦中に、琴弾松といふのがある。一昨日の晩宵の口に、其の松のうらおもてに、ちらちら灯が見えたのを、海濱の別荘で花火と焚くのだといひ、否、狐火だともいった。(後略)」

伊豆法難記念塔。

伊豆法難記念塔。

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