朝比奈切通し
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朝比奈切通し
(あさひなきりどおし)
中世を感じる古道の面影
770年前に開かれた古道の面影、美しい沢の水、山深い森に建つ熊野神社、魅力の尽きない切通しです。
エリア浄明寺・十二所
住 所鎌倉市十二所
アクセス「鎌倉駅」よりバス「十二所神社」下車、徒歩10分。もしくは「大船駅」よりバス「朝比奈」停留所下車、徒歩すぐ
神奈川県鎌倉市
鎌倉七切通しのひとつ、朝比奈切通しは1240年(仁治元年)11月30日、執権北条泰時によって要港六浦港と鎌倉の中心街を結ぶ重要な道路として建設が計画されました。地の神にさわりありとして延期されていましたが、翌1241年(仁治2年)4月5日建設が始まりました。泰時自ら現場を監督したといいます。「朝比奈」という名は和田義盛の三男、朝夷奈三郎義秀がこの切通しをたった一晩で切り開いたという伝説からきていますが、実際は1240年に和田一族を滅亡させた北条氏が即座に開発にとりかかったものです。
朝比奈切通しは良港である六浦港と鎌倉を結ぶ大動脈として鎌倉を支えることとなりました。また、六浦港のある金沢地域は当時から幕末に至るまで塩の産地であり、金沢の塩売りが朝比奈切通しを越えて鎌倉へと向かいました。鎌倉市十二社にある光触寺には彼らが初穂塩を供えた塩なめ地蔵が残されています。
朝比奈切通しは鎌倉、江ノ島、大山などと金沢八景を結ぶ観光道として賑わったそうです。現在鎌倉市と横浜市の境界となっている峠の頂上付近は大切通し(おおきりどおし)といいますが、ここには彼ら観光客をもてなすための茶店があったそうです。
鎌倉駅を出たら京急バスに乗り、バス停「十二所神社」で下車します。鎌倉の奥座敷といった風情の十二所地域はとても静かな場所です。大江広元、梶原景時、上総介広常などが屋敷を構えました。頼朝の懐刀ともいうべき伝説的政治家、大江広元がこの地でこの静けさの中、献策に頭を巡らしたのかと考えると知性が満ちた地に思えてきます。
バス停を降りたら道路を渡り朝比奈切通しの案内板の通りに歩いて行くと3分ほどで山に入っていきます。さらに数分歩くと三郎の滝と朝比奈切通しの石碑が見えてきます。ここから本格的に切通しが始まります。
ちなみにここで右へと進むと300本もの梅が植えられた十二所果樹園があります。そして、この看板の後ろあたりの台地には上総介広常の屋敷があったといわれています。
朝比奈切通しの魅力は古道の面影が色濃く残っていること、そして水です。きれいな山の水が沢となって流れています。夏にこの水で手や足をあらうとなんともいえない爽快感があり、幸せな気分になります。沢があるのは鎌倉側です。
しばらく登ると源頼朝勧請によるといわれる熊野神社が見えてきます。深い山に抱かれた神の社は心を洗ってくれるような神々しさがあります。
随所に人の手によって削られた大きな岩壁や、防衛のために道の上に設けられた矢を射るための台場、地蔵像などがあり古道の雰囲気を盛り上げてくれます。
かつて鎌倉を支えた要港六浦港と鎌倉市街を結ぶ大動脈であった六浦道。現在その姿を残すのはこの朝比奈切通しだけです。車も電線もない静けさに古の人たちも同じ風景を見て歩いたのだろうと想像を豊かにします。
おすすめの訪問時期は、瑞々しさを感じられる春~初夏、そして紅葉の秋です。